女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  祝祭と商人6−2  

 リーブル商会の中ではよく知られた話だが、シアは朝が弱い。
 かなり弱い……というか、朝、なかなか起きない。
 彼女が幼い頃、ベッドから転がり落ちても枕を離そうとしなかったというのは、いまだに語り草である。
 そんなわけで、寝起きの機嫌が悪いということはないにしろ、朝早く、普通に起こすのは、なかなか骨が折れる。
 今日も―― 

 雲ひとつない青空が広がる、爽やかな朝……
 部屋の窓からはさんさんと朝の光が差しこみ、ベッドの中はあたたかく、心地よい。
 外からはチュンチュン、と小鳥の軽やかなさえずりが聞こえ、また近所の人々が「おはよう」と朝の挨拶を交わす声や、朝から働いている馬車の車輪や蹄の音……
 さまざまな音が聞こえるが、ベッドの中で心地よい眠りの世界にひたっていると、それらが、まるで子守唄のように聞こえてしまう。
 ……というような、理由にならない理由ゆえに、起きるべき時間にも関わらず、シアはまだ自分の部屋のベッドの中でぐーぐーと、起きそうな気配は欠片もなく、熟睡していた。
 あたたかく、柔らかな朝の光が差すベッドで、ふわふわの枕をぎゅっと抱えて眠るシアは、眠ることの幸せを信じて疑っていないようである。
 銀髪がきらきらと朝の光を弾き、長いまつげを伏せ、すやすやと眠るシアの寝顔は、普段から、ずっと黙っていられれば美少女なのに残念だ……と周囲から言われるだけあって、天使のように愛らしい。
 あくまでも、黙って眠っていれば、の話であるが。
 シアが枕を抱えたまま、ごろんと寝返りをうつ。
 そうして、彼女はむにゃむにゃと、なぜか満足そうな表情で、寝言を口にする。
 ……一体、どんな夢を見ているのか?
「うーん……おばちゃん、ステーキ、もう一皿、おかわり……エルト、その付け合わせのじゃがいも、残すんなら、ちょうだいよ――。父さん、あたしのデザート、取らないで……むにゃむにゃ……」
 美味しいものを食べる夢でもみているのか、むにゃむにゃと寝言を言うシアの表情は、幸せそう、というより満足気だった。
 夢の中で、特大のステーキにナイフを入れながら、彼女は「ふふふ……」と嬉しそうに笑う。
 じゅるり、とその口元からヨダレがたれていないのが、奇跡のようですらある。
 可憐で儚げ、繊細な外見とは裏腹に、食い意地の張った少女だ。
「ふふふ……お腹、いっぱい……幸せ――。あ、デザートは別腹だから、むにゃむにゃ……」
 寝言をつぶやきながら、シアはまだまだ夢の世界に未練があるのか、いつまでたっても一向に、起きようとはしない。
 そんな彼女の枕元で、誰かが「シアお嬢さま。朝ですよ――。いい加減、起きてください」と言った。
 若い女の声だ。
 シアはうう、と唸りながら、再び寝返りをうつ。
「シアお嬢さま、おはようございます―!ほらほら、もう朝ですよ。いい加減に起きないと……この際、頭から水をかぶせちゃいますよ?それでも、いいんですか―?」
「う――ん。お願いだから、今日はもうちょっと、寝かせてよ。ニーナぁ……眠い――」
 シアは片手で目をゴシゴシこすりながら、寝ぼけた風に言うと、再び枕を抱え、寝なおす体勢に入った。
 普通なら、まだ起きないのかと呆れるところだが、毎朝ではないにしろ、よくあることだけに、相手も慣れたもので、そう簡単には諦めない。
 まるで猫の子のように、ベッドの中で丸くなるシアを起こそうと、ゆさゆさと両手でゆさぶってくる。
「シアお嬢さまっ!おはようございますっ!……今日は早く起こしてって、昨日の夜、あたしたちに頼んだのを、もう忘れちゃったんですか?ほらほら、起きてください!」
 シアは、いやいや、と首を横に振る。
「もうちょっとしたら、起きる――。約束するから。たぶん、もう少ししたら、起きる……予定だから」
「もうちょっとって、いつですか?そう言ってて、シアお嬢さんの場合、しばらく起きないでしょ!」
「ぐー」
「……うふふ。そう言っているそばから寝るとは、良い度胸ですね。シアお嬢さま」
 何か含みのありそうな笑顔で、そう言うと、リーブル家で働くメイド三人娘のひとり、ニーナは「まったく……」と腰に手をあてた。
 ふわふわの金髪が可愛らしい彼女――ニーナは、ちらり、とベッドの中で丸くなるシアを見て、さて、どうしてくれよう?と風に、後ろを振り返る。
 振り返った先には、リタとベリンダ、彼女と同じく、リーブル家で働くメイドたちがいた。
 ニーナは「リタ、ベリンダ」と、同僚たちの名前を呼ぶ。
「リタ、ベリンダ……シアお嬢さまが起きないんだけど、どうしよっか?……あの方法を使う?使っちゃう?」
 ニーナの問いかけに、ベリンダはわずかに顔をしかめ、首を横に振る。
「起こすためとはいえ、あの方法は危険すぎるわよ……いくらシアお嬢さまが象が踏んでも壊れないくらい、丈夫と言っても……」
 ニーナは「そうねぇ……」と相づちを打つと、続いて、もうひとりのメイドの仲間であるリタの方を見る。
「どうする?リタ」
 ニーナの問いかけに、黒髪の、どことなく異国風な顔立ちをしたメイド――リタは、にっこり、と笑って、任せて、と胸を叩く。
 その表情は、何やら自信ありげだった。
「任せてくれる?私に、奥の手があるわ」
 そう言うと、リタはメイド服のポケットから、ごそごそと何やら茶色の袋を取り出した。
 じゃらじゃら、と鳴る、その袋の中身はレアン銀貨と銅貨……ようするに、お金である。
 リタは銀貨や銅貨のつまった袋を、ワザとじゃらじゃらと鳴らし、ベッドのそば、シアの耳元でささやいた。
「レアン銀貨がいちまーい、レアン銀貨がにまーい、さんまーい、さんまーい……」
「ちょっと……ちゃんと数えてよ!リタっ!適当だと、後で計算が合わなくなるじゃないっ!」
 いい加減な数え方に黙っていられなかったのか、シアはそう言いながら、ベッドから飛び起きる。
 さっきまで、何を言っても起きようとしなかったにも関わらず、そこは黙っていられなかったらしい。
 ベッドから身を起こしたシアに、リタはしてやったり、という風にうなずいて、「こうすれば、絶対、シアお嬢さまは起きると思いましたわ」と言う。
「こうすれば、絶対、シアお嬢さまは起きると思いましたわ。ねぇ、ニーナ?ベリンダ?」
 話を振られたニーナは、うんうん、と深く首を縦に振る。
「そうね。朝から犬をけしかけたり、頭から水をかけようとしたり……シアお嬢さまを起こそうと、ふざけ……もとい試行錯誤してみたけど、これが一番、効果的ね。さすがは、シアお嬢さま!金の亡者……じゃなくて、商人の鑑ねっ!」
 うまくいったという顔をする、メイドのリタ。
 そして、さんざん、けなしつつ誉めるという、器用なことをやってのけるニーナに、シアはひくっ、と顔をひきつらせる。
 朝、起こしてもらったのに、素直に起きなかった自分にも非はあるかもしれないが、これは……もしかしなくても、遊ばれているのではないだろうか、と彼女は思う。
 シアは疑いのまじった眼差しで、きゃっきゃっと明るく笑うメイドたち……リタ、ニーナ、ベリンダを見た。
「三人とも……起こしてくれたのはありがたいけど、遊んでない?」
「いいえ、いいえー。そんなことは全く!」
 メイドのひとり、ベリンダは、今まで嘘なんて口にしたことがありません、とでも言いたげな邪気のない笑顔で、「いいえー」と首を横に振る。
 そうして、ベリンダは窓の方に歩み寄ると、カーテンを寄せ、バッ、と窓を開けた。とたんに、太陽の光が部屋の中を明るく照らし、そのまぶしさにシアは目を細める。
 窓の外に、雲ひとつない青空が広がっていた。
「見てください、シアお嬢さま。今日は、いい天気ですよー。大旦那様も旦那様も、少し前に起きて、もう仕事をされてますから」
 ベリンダにそう言われ、シアはふわぁ、とあくびをした後、んー、と伸びをしながら、ベッドの上からおりた。
「はいはい。さすがに、もう目が覚めたわ……おはよう。リタ、ニーナ、ベリンダ」
「おはようございます、シアお嬢さま。今日は、この白いドレスでいいですか?」
「ありがとう。リタ」
 リタの手から着替えの白いドレスを受けとると、シアはネグリジェのボタンに手をかけ――その時、ふと、あることに気づいた。
 気のせいかとも思ったが、何か、何かがいつもと違う。
 シアは「ねぇ、リタ……」と黒髪のメイドの名を呼ぶと、その疑問を口にした。
「ねぇ、リタ……」
「はい?何ですか?シアお嬢さま」
「今日、何かあるの?リタもニーナもベリンダも……みんな、いつもよりオシャレしてない?」
 首をかしげながら、シアはそう尋ねる。
 ――自分が知らないだけで、今日は何か特別なことがある日だっただろうか?
 リタもニーナもベリンダも皆、メイド服こそ普段と同じであるものの、いつもよりも気合いをいれて、オシャレをしている気配が伝わってくる。
 三人とも、普段より熱心に化粧をしているし、それ以外にもオシャレに余念がない。
 リタからはふわり、と流行りの香水の香りがかおってくるし、ベリンダは結んだ髪をくるくると、綺麗に巻いている。
 ニーナにいたっては、ふわふわの金髪に、白い花の飾りをつけていた。
 明らかに、普段よりも気合いのはいったオシャレをしているメイドたちに、シアは今日は何があるのだろう?と、首をかしげずにはいられない。
 シアの問いかけにリタは笑顔で、
「もうすぐ、聖エルティアの祝祭ですから」
と、答える。
「ああ……そういうことね。そっかぁ、もうすぐ、聖エルティアの祝祭だものね……」
 シアは納得したように、「もうすぐ、聖エルティアの祝祭だものね……」と言う。
 アルゼンタール王国の三大祭りのひとつに数えられる、王都で行われる――聖エルティアの祝祭。
 それはもちろん、王都の住人たちにとっては、絶対に欠かすことの出来ない一大イベントである。
 特に、祝祭の日、一緒に過ごした恋人たちは幸せになれる、という言い伝えがあることから、若い男女から、絶大な人気を誇る祭りなのだ。
 そんなわけで、リタたちが張り切ったり、浮き足だったり、ワクワクする気持ちは、シアにだって十分、理解できる。
 しかし、それにしても、少しばかり気が早いとは思う。
 何せ、聖エルティアの祝祭までは、まだ一ヶ月以上もあるのだから――
 そんなシアの考えを察したのだろう。ニーナがちっ、ちっ、と立てた指を振る。
「ちっ、ちっ……甘いですわ。シアお嬢さま。祝祭で、素敵な恋人をつかまえるための女の戦いは、すでに始まっているのです!」
 女の戦いはすでに始まっているのです!と断言するニーナに、後ろのふたり、リタとベリンダもその通りだとうなずいた。
「ニーナの言う通りですわ。恋は、出会いは、女にとっての戦いなのですっ!」
「目指せ!玉の輿っ!」
 そう高らかに叫んで、メイドたちは「おー!」と拳を振り上げた。
「……わ、わかったわ。あたしも陰ながら応援してるから、が、頑張って」
 相変わらず、ノリの良すぎるメイドたちに、ちょっぴりタジタジになりつつ、シアは言う。
 そんなこんなで騒いでいるうちに、ネグリジェから白いドレスに着替えたシアが椅子に座り、ベリンダがその銀髪に櫛をあてる。
 シアの銀髪に櫛をあて、慣れた手つきで結い上げながらベリンダが「聖エルティアの祝祭といえば……」と、話を切り出す。
「聖エルティアの祝祭といえば……今年の祝祭の乙女たちも、きっと昨年にまさずおとらず、綺麗でしょうね」
 そう思いませんか?と、ベリンダに同意を求められたシアは「うん」と、素直に首を縦に振る。
「うん。祝祭の乙女たちって、毎年、すごく綺麗だもんねぇ……思わず、見とれちゃうくらい。今年も、きっとそうだと思うけど」
 ――祝祭の乙女たち。
 それは、聖エルティアの祝祭の花形とも言われ、王都で暮らす少女ならば、一度はやってみたいと願う役目である。
 祝祭の由来となった、王都の守護者でもある、聖女・エルティア。
 その聖女が美しく、清らかな心の乙女であったという伝説から、祝祭のたびに十四から十八までの王都で暮らす娘たちの中から十二人を選んで、〈祝祭の乙女〉という役目を担わせるという伝統があるのだ。
 役目といっても、大変なことは特にない。
 祝祭の乙女の出番は、三日間ある祭りの最終日、女王陛下と近衛たちによる華やかつ、盛大なパレードが行われるのだが、そのパレードの際に飾り立てた馬車や輿にのって花をまいたり、祭りを盛り上げるのが主な役割だ。
 民から尊敬され、また慕われる女王陛下と共に祝祭のパレードに参加できるのは、とても名誉なことである。
 それに、当日、祝祭の乙女たちは美しいドレスを身にまとい、祭りの花形として注目を浴びるので、王都の年頃の少女たちからは、羨望の眼差しを向けられる存在だった。
「シアお嬢さま、今年の祝祭の乙女の役、どうして断っちゃったんですか?もったいない……」
 ベリンダはシアの銀髪を結いながら、少しばかり残念そうに言う。
 祝祭の乙女の人選は、祭りの世話役によって選ばれるのだが、シアは今年の祝祭の乙女に選ばれたものの、それを断っていた。
 せっかく選ばれたのに、もったいないと、ベリンダは残念がっているようだった。
 その言葉に、シアはたいして未練がある様子もみせず、あっさりと「祭りの時は、忙しいから」と答える。
「祝祭の期間中は、ウチの商会も色々と忙しいから、いいわ。なんたって、稼ぎ時だもの」
「それはそうでしょうけど……だからって、祝祭の乙女の役を断るなんて、もったいない。ねぇ?リタ」
 シアの言い分を、ある程度、理解はしても、やっぱりもったいないと思うらしいベリンダは、ねぇ?と隣のリタに話を振る。
 同意を求められたリタは「そうですわ」と、大きくうなずく。
「そうですわ。シアお嬢さまが祝祭の乙女として着飾れば、きっと、あの騎士さまも見惚れてたでしょうに」
 実際にはシアをからかっているだけだろうが、表面上はさも残念そうに、リタは言う。
 彼女の言う、あの騎士さまとは言うまでもなく、アレクシスのことだ。
 お嬢さまであるシアの恋路は、今、メイドの彼女たちにとっての最大の娯楽……ではなく、関心事だった。
「そうですよぉ。もったいない……聖エルティアの祝祭といえば、女の子にとって重大イベントなのに!」
 ニーナがそう言えば、リタも「そうそう」と同調する。
「そうそう。きっと、あの素敵な騎士さまのことですから、甘い言葉で口説いてくれたでしょうに、もったいないないですわ。シアお嬢さま」
「祝祭の乙女と、格好よい騎士さまなんて、まさに乙女の憧れのシチュエーションじゃない?祭りの夕暮れ時、二人は……なーんて」
「漆黒の瞳で見つめられて、あの凛々しい顔で、甘い言葉なんてささやかれた日には、どんな女の子でも一瞬で恋に落ちちゃうわよねぇ!あたしも、言われてみたーい!」
 色々と勝手に想像し、きゃっきゃっ、と楽しげに騒ぐメイドたちとは対照的に、シアは現実的だった。
 いやいや、ないない、と冷めた風に首を横に振る。
「いやいや、ないない。そんな甘い言葉なんて言えないでしょ、アレクシスは……って、何で、この話でアレクシスが出てくるの!」
 自分でそう口にしておきながら、シアは思いっきり、はた目にもわかるくらい動揺した。
 (……え、え――っと、まずは、お、落ち着きなさい。あたし。落ち着け、シア=リーブル……)
 (あたしは、アレクシスのことす、好き?かもしれないけど、口説くとか、甘い言葉とか、こ、恋人とかそういう関係じゃなくて、だから祭りでどうこうなんて、そんな……)
 (あれ?そもそも、何で、こういう話になったんだっけ?うわあああ、頭が混乱してきた……)
 真面目に考えれば考えるほど、頭がぐるぐるして、シアは頭を抱えたくなる。
 そんなシアに、ベリンダはにっこり、と微笑んで言う。
「あら、私たちはアレクシスさまのお名前なんて、一度も出していませんわ。ねぇ?」
「ええ、ただの一度も」
 リタも同じように、にっこりと笑顔でうなずいた。
「うぐぐ……」
 シアは赤い顔でうぐぐ……と唸ったが、メイドたち三人に対し、彼女ひとりでは、悔しいが勝ち目はない。
「「「ね―」」」
 声を合わせて、そう言うリタ、ニーナ、ベリンダの三人に、シアは己の敗北を悟る。
 かくなる上は、逃げるしかない!
「も、もういいわ!」
 真っ赤な顔でそう言うと、シアはメイドたちの追及から逃れるために、部屋から飛び出した。
 そんな彼女の背中に、ベリンダが櫛を片手に叫ぶ。
「あっ、シアお嬢さま!髪のリボンがまだ――」
「いい、大丈夫!」
 シアは振り返らず、部屋を飛び出すと、階段を駆けおりた。


「おはよう!」
 挨拶をしながら、シアがリーブル商会の本部に足を踏み入れると、机で書類を書いていたり、金貨を数えていたり、棚にある商品の整理をしていたり……それぞれ仕事をしていた商人たちが、顔を上げ「お嬢さん、おはよう」と、挨拶を返してくる。
 シアが仲間の商人たちに挨拶をしていると、棚の整理をしていた三人の青年が、彼女の方に歩み寄ってきた。
「「「おはようございます!シアお嬢さん」」」
 おはよう、と声をそろえるのは、エルト、アルト、カルトの三つ子だ。
 メイドたちと同じく、彼ら見習い三つ子も、何やらオシャレというか、普段よりも良い服を着ているように見える。
「シアお嬢さん、この服、見てくださいよ」
 そう言いながら、エルトが新しい服を自慢するように、一歩、前へ出て、胸を張った。
「聖エルティアの祝祭のために、新しい服を買ったんですよ。似合います?」
 新しい茶色の服を着たエルトがシアにそう言えば、隣にいたアルトも黙っていられなかったのか、こちらも新しい紺の服を自慢するように、エルトを押しのけんばかりに、一歩、前へ出る。
 まるで、自分の方が似合っているとでも言いたげだ。
「なに言ってんだよ、エルト。俺の方が似合ってますよね?」
「いやいや、俺のが一番だよ。何せ服屋の親父に、凡人には到底、考えつかないセンスって、絶賛されましたからね!」
 三つ子のうち、二人に先に自慢され、何やら対抗意識を燃やしたのか、どぎつい黄緑色の服を着たカルトも、自信満々、誇らしげに胸を張る。
「いやいや、俺の方が……」
 放っておくと、えんえんと続きそうな三つ子たちの会話に、シアは苦笑した。
 あっちもこっちも、祝祭の話題で盛り上がっているようだ。
 それだけ皆、祭りを楽しみにしているということなのだろう。
「……こっちも、お祭りムード一色ね」
 シアの言葉に、 エルトが首をかしげた。
 メイドたちとシアの会話を聞いていなければ、意味がわかるまい。
「こっちも?」
「いや、こっちの話……。それにしても、浮かれているというか、張り切ってるわね」
 シアは、こっちの話、と首を横に振ると、祭りのために、新しい服まで買ったという三つ子たちを見て、感心したように言う。
 祝祭の日、一緒に過ごした恋人たちは幸せになれる……という言い伝えを、信じているのだろうか。
 わざわざ服まで新調する辺り、祭りを楽しむというより、出会いを求めてというような気持ちが大きいのだろうが、それにしても、この張り切りようは並みではない。
「当然ですよっ!祭りに出会いを求めなくて、いつ求めるんですか?数ヶ月前から、ずっと楽しみにしていたんですよ!」
 アルトがそう熱のこもった声でいえば、残りの二人も、そうだそうだ、と力強くうなずく。
 三つ子らしく、息の合ったところをみせる彼らに、シアは呆れとも感心ともつかぬ目を向けた。
「アンタたちの熱意は、十分すぎるほど伝わったわ。でも……」
 シアは、でも、と言葉を続ける。
 三つ子たちが祝祭に、もとい、祭りでの出会いにかける意気込みは、いささかうっとうしいくらいに伝わってきたが、そんなに都合よく、祝祭の日に休みが取れるだろうか。
 リーブル商会の休みは、商人も見習いも交代制であるが、祭りなど大きなイベントがある時は、特にバタバタして忙しい。
 ましてや、聖エルティア祝祭は、商人はもちろん、リーブル商会にとっても稼ぎ時だ。
 おまけに、祝祭の日に休みたい、祭りを見てまわりたい、と希望するリーブル商会の商人は決して少なくなく、毎年、休みを勝ち取るのは大変なのである。
 ちなみに、希望者が多い場合、何らかの方法で決着をつけるのか通例で、昨年はチェスで決着をつけた。
「でも……祝祭の時に、祭りを見て回る余裕なんてあるの?みんな忙しいでしょ」
 シアが、もっともな疑問を口にすると、カルトがトランプを片手に笑顔で答える。
「ふふふ、心配ご無用。そのために、ポーカーで休みを勝ち取りました。ま、交代ですけどね」
 そう言うカルトの後ろの机では、妻子持ちの商人たちが苦笑したり、シアに向かって、茶目っ気たっぷりに片目をつぶったりしている。
 どうやら、今回は手加減して、前途ある、恋多き若者たちにゆずったらしい。
「なるほどね」
「そう言うシアお嬢さんは、どうなんですか?せっかくの祝祭の乙女の役、断っちゃって……」
 なるほどね、とうなずいたシアに、エルトはそう尋ねる。
 リタたちと同じように、もったいないと言いたげだ。
「あー。あたしは、いいわよ。祭りは稼ぎ時で、ウチも忙しいしね」
 たぶん、仕事してるわと、シアはあっさりと答えた。
 それを聞いたエルトたち三つ子は、一瞬、何か含みありげに視線を交わす。だが、それはほんの一瞬のことで、シアはそれに気づかない。
 エルトは笑顔で「そうなんですか」とうなずく。
 その後ろで、カルトが「……まぁ、シアお嬢さんがそう言っていられるのも、今のうちですけどね」と呟いたが、その声は小さすぎて、シアの耳には半分くらいしか届かなかった。
「……今、何か言った?カルト」
 カルトはいいえー、としれっとした顔で答える。
「いいえー、何も……じゃあ、仕事の休憩時間とか、誰かと一緒に祭りを回る気ですか?シアお嬢さん」
「それは……」
 カルトの問いかけに、シアはアレクシスのことを思い浮かべる。
 少し前に、ようやく恋心を自覚したものの、あれから進展と言うべきものは全くない。
 むしろ、下手に意識することで、かえって精神的にドツボにはまっている気さえする。
 一緒に祭りを回る?
 ないない。
 アイツとは、アレクシスとは、そんなんじゃないもの。
 …………まだ。
「おい、エルト、カルト」
 それは……と言ったきり、答えようとしないシアに、三つ子は顔を突き合わせて、ひそひそと内緒話を始めた。
 内緒というわりには、彼女に筒抜けになる距離で。
「聞いたか?シアお嬢さん、ひとりで祭りを回る気らしいぞ」
 ひそひそ。
「可哀想に、アルト、一緒に回ってやれよ」
「俺は、駄目だ。ナンパが忙しい」
「大体、シアお嬢さんは……」
 ひそひそ。
「……アンタたち、全部、聞こえてるわよ」
 シアが額に青筋を立てながら言うと、三つ子はちらっと彼女の方を見たものの、再び顔を突き合わせて、ひそひそと小声で話す。
 ひそひそ。
「いい加減に……」
 いい加減、堪忍袋の緒が切れたシアが怒鳴ろうとした瞬間、背中の方から、穏やかな男の声がした。
「おやおや、楽しそうだね。僕も仲間に入れてくれない?」
 そう穏やかな声で、シアたちに話しかけてきたのは、亜麻色の髪のダンディな紳士だった。
 クラフト=リーブル――シアの父であり、リーブル商会の若き長にして、アルゼンタール王国の商人たちの頂点に立つ男である。とはいえ、女王陛下からも重用されているという、重い立場のわりに、日頃は、明るく、柔らかな物腰で、普段はあまり威厳のある態度を見せない。
 本当は他国にまで、その名を届かせるほどの実力を持つリーブル商会の二代目・クラフトだが、娘のシアが彼につけたあだ名は、狸親父である。
 なんと言うか……威厳の欠片もない。
「父さん」
 シアは後ろを振り返ると、父の、クラフトの方を向く。
 彼の姿を見たエルトたちも、声を上げた。
「旦那様……大旦那様も」
 クラフトの後ろには、大旦那様こと、黒檀の杖をついたロマンスグレーの初老の男。
 先代の長、シアの祖父であるエドワードがいた。
 父と祖父がそろって来たことで、シアは何だろう?と首をかしげる。
「どうしたの?父さん、祖父さん。あたしに何か用事?」
 シアの問いかけに、クラフトはそうだよと答えて、うなずく。
「そうだよ。さっき、女王陛下のご注文の品が、南方から届いてね。王城まで、お届けに行ってくれないかな?」
「それって、あたしでもいいの?」
「うん。最初は、僕か父さんが行こうかとも思ったんだけど、女王陛下の商人である君の方がいいだろうと思ってね」
 クラフトはそう説明すると「馬車は外に用意してあるから、頼んだよ。シア」と、続けた。
「わかった。行って来るね。父さん、祖父さん」
 そう言われては、女王の商人であるシアに、断る理由は何もない。
 シアは素直に父親の言葉に従い、扉の方へと向かう。
「じゃ、いってきます」
 王城に向かうために、シアはそう言って、扉の外へ出ていく。
 バタン、と扉が閉められ、シアの背中が完全に見えなくなった頃、エドワードは息子であるクラフトの方を向く。
 そうして、ニヤリ、と唇をつり上げて、エドワードは――商人たちの間では、生ける伝説とまで呼ばれる、シアの祖父は言った。
「……何にもシアに言わねぇとは、てめぇも策士だな。クラフト」
 感心とも嫌味ともとれる、父親の言葉に、クラフトは「ははっ」と爽やかに笑う。
「ははっ、父さんに褒められるなんて、光栄ですね」
 いつもながら、飄々とした息子に、エドワードは「はー」と深く息を吐き、半ば自問自答するように言った。
「クラフトよ……おめぇのそういうとこは、誰に似たんだろうなぁ?俺の血か?」
 それとも、どこか育て方を間違えたのだろうか。
 エドワードの言葉にクラフトは、ふっ、と笑う。
「商人たる者、目的達成のためなら、最大限の努力をすべし。多少の裏技は、可……僕にそう教えてくれたのは、父さんでしょう?」
「その通りだ。てめぇも、やっと商人の魂がわかってきたみてぇだな。クラフトよ……」
「いやいや、僕なんて父さん、貴方に比べれば、まだまだですよ」
 クラフトとエドワード、外見も性格もあまり似てないが、彼らはまぎれもなく血の繋がった父と息子だった。
 外見とか性格とか、酒好き女好きな共通点がなかったとしても、何より食えないところと、狸なところがソックリである。
 血の繋がりを感じさせるには、十分すぎるほどに。
「「ははは」」
 エドワードとクラフトが、声をそろえて笑うのを見て、エルトたち三つ子は顔を見合わせた。
 片や、一代で王国一のリーブル商会を作り上げた、伝説の商人――エドワード=リーブル。
 片や、エドワードの息子であり、若くしてリーブル商会を率いる、天才商人――クラフト=リーブル。
 そんな二人の会話を聞いていた三つ子たちは、一流の商人になるためには、人格、良心、その他さまざまなものを犠牲にしないといけないらしい、と悟ったという。
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