女王の商人

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  祝祭と商人6−3  

「……い、今、なんておっしゃいました?女王陛下」
 ティーカップを片手に、うっ、と顔をひきつらせながら、シアは上ずった声で尋ねる。
 それに対し、アルゼンタールの華、麗しの女王陛下――エミーリアは、にっこり、と優雅に微笑み、「あら、聞こえなかったかしら?」と、品よく小首をかしげた後、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
 シアにとっては、爆弾発言とも言えるそれを。
 「今度の祝祭で、祝祭の乙女の役をやってもらえないかと思って。――シア、貴女にね」
 そんな女王陛下の一言に、シアは驚きのあまり、一瞬、石像のようにカチコチに固まった

 ――一体、どうして、こんな展開になったのか?
 そもそもの事の起こりは、少し前にさかのぼる。
 きっかけは、ほんの数時間前、南方からエミーリア女王陛下のご注文された品が、リーブル商会に届けられたことだった。
 女王陛下が自らご注文された品とあれば、本来ならば、リーブル商会の長であるクラフトか、あるいは先代の長であるエドワードが、王城か、あるいは女王陛下の元まで直接、お届けにあがるべきところであろう。だが、シアがエミーリア女王陛下から、直々に命じられた女王の商人であるということもあり、彼女の方が適任であろうと、シアがその役目を託されたのである。
 そうして、女王陛下のご注文の品を、シアが王城までお届けに来たのは、ほんの小一時間前のことだ。
 しかし、王城まで来たとはいえ、今回、彼女の仕事はそう多くない。
 女王陛下付きの厳格な初老の女官・ルノアの手に、陛下のご注文の品を預けた時点で、シアの仕事は終わり……のはずだった。
 たとえ一介の商人であっても、女王陛下の政務の多忙さと、また国を背負う重い責任は理解しているつもりである。
 いくら、シアがエミーリア女王陛下に選ばれた、女王の商人であっても、そうそう女王陛下とお会い出来るものではない。だから、シアは女王陛下付きの女官に届けに来た品を渡したら、すぐに王城を辞すつもりだった。
 お役目、ご苦労でした、と言う女官に見送られて、王城から出ようとしたシアを引き留めたのは、他でもない、エミーリア女王陛下その人の言葉だった。
 ――ちょうど今、政務が一段落したところだから、貴女がよければ、お茶に付き合いなさい、と。
 敬愛する女王陛下から、楽しいティータイムのお誘いとあらば、シアに断る理由などあるはずもない。
 ティータイムのお誘い、女王陛下からの伝言を伝えに来た女官に、シアは喜んで、二つ返事でうなずいた。
 そんなわけで、シアは畏れ多くも、女王陛下とティータイムをご一緒することになったのである。

「……わぁ!」
 焼きたてのクッキーや、スコーン、シュークリーム。
 ふぅわり、と軽やかに、上品に香る、琥珀色の紅茶。
 蜂蜜やドライフルーツを使った焼き菓子に、何種類もの季節の果実をたくさん使った、きらきら輝く、宝石のようなフルーツタルト。
 一口大の小さなサンドイッチや、菫や薔薇の花の砂糖漬けを使ったゼリー。
 王城のコックが惜しみなく腕を奮った、見た目も繊細で美しく、また美味しそうな、あまい、甘いケーキや焼き菓子の数々……。
 その、純白のテーブルクロスの上に並べられた、まるで宝石のような菓子の数々に、シアは目を輝かせて、思わず「……わぁ!」と、感嘆の声を上げた。
 純白のテーブルクロスがかけられた丸テーブルと、向き合うように並べられた、二つの椅子。
 テーブルの上には、上品な琥珀色で満たされたティーカップや銀食器、甘い菓子の盛られた皿はもちろん、色あざやかな花々も飾られて、華やかさをそえている。
 お茶の準備がされたのは、王都中を見回すことが出来る、眺めの素晴らしい、バルコニーの一角だった。
 王城より高い建築物は、王都には存在しないため、そこからは教会や王立図書館や時計塔、赤や青の色とりどりの屋根、王都の美しい街並みを一望できる。
 空は青く、晴れ渡っているものの、幸運なことに、日差しはそこまで強くなく、頬を撫で、髪を揺らす風は心地よく、爽やかだ。
 ここが外ならば、絶好のピクニック日和かもしれないな、とシアは思う。
 シアが城のバルコニーから眺める王都の街並みと、テーブルの上の宝石のような美しい菓子に目を奪われていると、向かい側のエミーリア女王陛下が、口元で羽扇をあて、ふふふ、と鈴を鳴らすような声で、優雅に笑う。
 結い上げた金髪に、わずかに褐色がかった肌、深いオリーブ色の瞳という、西と南の高貴な血が混じりあった妖艶な美女だけに、そうしていると何とも言えず様になる。
 自然と身にまとう 、優雅かつ穏やかでありながら、揺るがぬ、凛とした雰囲気は《麗しき西の覇者》と称される、アルゼンタール王国の女王に相応しいものだ。
 そんなエミーリアは、ふふ、と軽やかに笑い、オリーブ色の瞳を細めると、「どうぞ、召し上がれ」とシアに声をかけた。
「どうぞ、召し上がれ。シア」
 そう言って、にっこりと微笑む女王陛下の後ろには、女官一筋数十年、ベテラン女官のルノアが、まるで影のように、存在感を消して控えていた。
 女官たる者、出しゃばりすぎてはいけないと肝に命じているのだろう。
 しかし、影のように控えめでありながら、若い女官たちの行動に落ち度がないか、さりげなく、だが、しっかりと目を配っているのは、さすがと言うべきか。
「はい!ありがとうございます」
 どうぞ、召し上がれ、という女王陛下の言葉に、シアは満面の笑みを浮かべ、明るい声で応じる。
 青空の下、にこにこしながら、フルーツタルトを口に運ぶシアは上機嫌で、警戒心の欠片もなかった。
 もちろん、女王陛下が自分をお茶に誘ったことに、何か裏があるなんて、彼女は夢にも思っていなかったのだ。
 そんなシアの甘い考えを、祖父や父、リーブル商会の面々が知れば、まず呆れ、次に叱咤したことだろう。
 うまい話には、裏があると思え、裏の裏の裏の、そのまた裏を読め……それは、商人の常識である。
 案の定、平穏なティータイムはそのまま終わらなかった。
 シアがもぐもぐ……とスコーンを味わい、紅茶を一口、 口にふくんだ時、エミーリアは紅をはいた唇を開く。
 そうして、にっこり、と魅力的な微笑みを浮かべながら、女王陛下は「シア……」と、商人の少女の名を呼ぶ。
「シア……貴女に、ちょっとしたお願いがあるのだけど……」
「……はい?」
 ちょっとしたお願い、という女王陛下の言葉に、紅茶を飲んでいたシアは「……はい?」とティーカップをおろし、改めて、エミーリアの方へと向き直る。
 ――女王陛下のちょっとしたお願いとは……女王の商人としての仕事の話だろうか?
 そう思い、表情を引き締めたシアに、エミーリアは「違うわ、そうじゃないの」と首を横に振り、笑顔で続ける。
「女王の商人としての仕事とは、あまり関係がないのだけれど、それとは別に、貴女に引き受けて欲しいことがあるのよ。シア……」
 そんな女王陛下の言いように、シアはきょとんとした顔で首をかしげる。
 (……?女王の商人としての仕事とは別に、女王陛下があたしに頼みたい、引き受けてほしいことって……?)
 その内容が想像もつかず、きょとんとするシアに、女王陛下が笑顔で言われたのは、彼女の予想を超える言葉だった。
 オリーブ色の瞳を細め、孔雀の羽の扇をひろげながら、エミーリアは言う。
「今度の祝祭で、祝祭の乙女の役をやってもらえないかと思って。――シア、貴女にね」
 かくして……話は冒頭へとさかのぼる。
 まさか、女王陛下からそのようなことを言われると思っていなかったシアは、なぜ……?と思いながら、一瞬、石のように固まった。
 そんな彼女の心境など知る由もなく、女王陛下は無邪気な少女のような、屈託ない声で続ける。
「どうかしら?シア……貴女が、祝祭の乙女の役を引き受けてくれたら、私もうれしいわ」
「は……」
「一度は、断ってしまったみたいだけれど、まだ間に合うと思うのだけれど……」
 そう言われたところで、シアはハッと我に返った。
 (な、なんで……?)
 どうして、女王陛下がそんなことをご存知なのだろう?
 シアが祝祭の乙女の役を断ったことなんて、祭りの世話役をのぞけば、リーブル商会の皆しか知らないはずなのにっ!
「……な、なぜ、女王陛下がそのことをご存知なのですか?あたしが、祝祭の乙女の役を断ったことなんて……」
 驚きと困惑と、赤くなったり青くなったり、くるくると表情を変えて百面相をする、シア。
 そんなシアに、エミーリアは「あら……」と言って、ゆったりとした仕草で羽扇をあおぐ。
「あら……この前の議会の時、クラフトが嘆いていたわよ」
「父が……?」
 首をかしげるシアに、エミーリアはええ、とうなずく。
「ええ、なんでも……シアに祝祭の乙女の役を、断らないで、引き受けて欲しかったそうよ。ただ可愛い娘の晴れ姿がみたいだけなのに、恥ずかしがり屋で、協力してくれないって……」
 女王陛下の言葉に、シアは己の置かれた状況も忘れて、思わず、ぐはあっ、とテーブルに突っ伏しそうになる。
 もしも、ここが女王陛下の御前でなければ、間違いなく、そうしていたであろう。
 まさか、本当にそんな真似をするわけにもいかないので、シアはギリギリと歯軋りをし、その衝動をこらえた。
 (父さんんんんん!アンタ、女王陛下に何を……っ!)
 親バカにもほどがあるというか、ここまでくると、正直、嫌がらせではないかという疑いさえわいてくる。
 シアはなんとか気を取り直して、
「それは……父が大変、失礼しました。つまらぬことを、女王陛下のお耳にいれて……」
と、言った。
 それに対し、エミーリアは首を横に振る。
「あら、つまらないことなんかじゃないわ。その話を聞いて、私も残念に思ったし、せっかく一緒にパレードをしようと思ったのに……」
「それは……」
 女王陛下が残念そうに、そういうのを聞いて、シアの心は揺れた。
 パレードというのは、聖エルティアの祝祭の三日目、最終日に行われるもののことだ。
 美しい女王陛下と近衛、それから華やかに着飾った祝祭の乙女が、楽団の奏でる音楽と共に王都の中心をパレードとするそれは、祝祭の目玉と言うべき存在である。
 例年、わざわざ、それを目当てに遠くから訪れる観光客も少なくない。
「……」
 祝祭の乙女の役、引き受ければ、良かったかな……とシアは思う。
 商売が忙しいからと断ってしまったが、女王陛下がそこまでおっしゃってくださるならば、引き受ければ良かった。
 まるで、彼女の迷いを見透かしたように、女王陛下は柔らかな声で、再度、問う。
「それで……どうしても、駄目かしら?祝祭の乙女の役を、引き受けてくれる気はない?シア」
「は、はあ……」
 シアは迷いつつ、はいともいいえともつかぬ返事をする。
 ……心なしか、先ほどから、女王陛下の後ろに控える初老の女官、ルノアの視線が痛い。
 睨むとまではいかないが、チクチクとした視線が、突き刺さるようだ。
 女王陛下がこうまでおっしゃっているのに、断るなんて真似は、許されないのですよ。わかっていますね?ね?……と、その顔には書いてある。
 決して、女官の職務をこえてでしゃばることも、何か己の意見を口にすることもないのだが、何も言わずとも、その目が全てを語っている。
 無言の圧力に、シアは心中で冷や汗を流した。
「……ねぇ、シア。私は珍しいものと、珍しいものと、楽しい、国が明るくなることが好きなのよ。もちろん、お祭りもね……私と一緒に、祝祭を盛り上げてくれる気はない?」
 そのエミーリアの言葉に、女官の視線がますます鋭くなる。
 おまけに、麗しの女王陛下に微笑みながら、どうかしら?などと言われてしまっては、シアの言うべき言葉はひとつしかなかった。
「――女王陛下の仰せのままに」
 そうして、シアは祝祭の乙女になることになったのである。


 王城から、リーブル商会への帰り道―― 
 ガタゴトと商会の馬車に揺られながら、横を向いたシアは、窓から王都の街並みを見つめていた。
 窓から見える、王都の美しく、洗練された街並みは、生まれた時から王都育ちの彼女にとっては見慣れたものだが、普段から大勢の人々でにぎわう王都が、この時期、遠方から来る商人や観光客で更ににぎわうことを、シアはよく知っていた。
 (祝祭まで、あと一ヶ月ちょっとだもんね……)
 シアを乗せた馬車が走っているのは、王都の中でも特に栄えている、中心の通りで、普段から人々でにぎわう場所なのだが、道の両脇にある沢山の店々や、また通り全体が普段より更に明るく、ワイワイとにぎわっているような印象を受ける。
 王国三大祭りのひとつ、聖エルティアの祝祭をおよそ一ヶ月後に控え、街全体が華やかなムードに包まれているのだろう。
 よくよく見れば、大通りに並ぶ店の中には、色あざやかな花やらリボンやら、きらきら光るガラス玉などで祝祭のための飾りつけを行っているところも多くあり、祝祭への盛り上がりを感じさせた。
 老若男女を問わず、王都で暮らす民にとって、聖エルティアの祝祭は冬の聖誕祭と並び、絶対に欠かすことの出来ない一大イベントである。
 恋人たちの祭りと言われるくらい、若い男女には人気の高い、聖エルティアの祝祭であるが、そうでなくてもアルゼンタール王国は、明るく、お祭り好きな国民性である。
 今から王都の中心が、ワイワイと浮き足立つのは当然のことだし、その気持ちはシアにも十分、理解できる。
 王都の人々も、彼女と親しい人たちも皆、祝祭を楽しみにしているのだ。
 (祝祭の乙女かぁ……)
 (決まったからには、しっかりやらないと……)
 (みんな……祝祭を楽しみにしているんだから!)
 いきなり祝祭の乙女をすることになって、正直、驚いたものの、祝祭に向けて盛り上がる街の様子を見て、シアは気持ちを切り替えた。
 キッカケや経緯はどうあれ、決まったからには全力でやるというのが、彼女のモットーである。
 いつまでも、グチグチしているのは性に合わない。
 女王陛下のためにも、祝祭を楽しみにしている人々のためにも、また自分や家族のためにも、こうなったからには祝祭の乙女の役をしっかり務めて、聖エルティアの祝祭を盛り上げよう!
 そう心に決めて、シアは前を向く。
 あの狸親父……クラフトに言ってやりたいことは、一つ二つ、三つや四つ、いやいや五つや六つあったが、まぁ、些細なことだ。
 そんなことを考えているうちに、彼女を乗せた馬車は、リーブル商会の前へと到着する。
 御者のロベルトにありがとう、と礼を言い、馬車からおりたシアは、その、商会の木の扉にかけられたものを見て、思わず、驚きに目を丸くした。
 目を丸くし、あんぐりと口をあけ、シアは扉にかけられたそれを見つめる。
「これって……」
 リーブル商会の扉にかかっているのは――色とりどりの花とビーズ、金色のリボンで飾られたリースだった。
 飾り気のない木の扉にかけられたそのリースは、陽の光を受け、きらきらと七色の光を放ち、たいそう美しい。
 今朝というか、シアが王城へ出かける前までは、扉に何もかかっていなかったはずなのに、一体、何時の間にこんな飾りを用意したのだろうか。
「これって、祝祭の乙女のだよね……?」
 首をかしげながら、シアは言う。
 いきなり、扉にかけられていた華やかなリースに、シアは驚いたものの、それが飾られた意味はわかる。
 色とりどりの花とビーズ、金色のリボンで飾られたそれは、聖エルティアの祝祭のためのものであり、その飾りを扉にかけた家の娘が、祝祭の乙女に選ばれたのことだということを、近隣の家々や知人に知らせるためのものだ。
 昔から、祝祭の乙女の役は人気が高く、それに選ばれるのはちょっとした名誉でもあり、祝祭の乙女に選ばれた少女の家では、この、色とりどりの花のリースを扉にかけるのが、ひとつの伝統なのである。
 そうすれば、どの家の娘が今年の祝祭の乙女に選ばれたのか、すぐにわかるからだ。
 ……というわけで、シアが祝祭の乙女をすることになったから、その飾りがリーブル商会の扉にかけられているのだということは、まぁ、理解できる。
 しかし、それにしても展開が早い。
 むしろ、早すぎる!
 ついさっき、祝祭の乙女をすることになったばかりなのに、何で、自分が何も言う前に祝祭の乙女のリースまで、商会の扉にかけられているのかと、シアは驚かずにはいられない。
 まるで、彼女が祝祭の乙女になることが最初からわかっていたかのようなそれに口をあんぐりとしつつ、と、とにかく、今年の祝祭の乙女の役をすることになったのだということを、まずは父さんと祖父さんに話さないとと真面目に考えて、シアはリースの飾られた商会の扉に手をかける。
「ただいま……」
 そうして、扉を開け、商会の建物の中に足を踏み入れた瞬間、シアはわっ!とリーブル商会の仲間たちに取り囲まれる。
 まるで、彼女の帰りを待ちかねていたように、そこで仕事をしていた商人や商人見習いたちは皆、シアの姿を見るなり笑顔で歩み寄ってきて、口をそろえて「おめでとう」と言う。
 いきなりのことに、仲間の商人たちに囲まれたシアは、目を白黒させた。
 仲間の商人たちは、まるで我がことのように嬉しそうな笑みを浮かべ、次々とシアに言う。
「おめでとうございます!シアお嬢さん。祝祭の乙女の役、頑張ってくださいね」
「話は聞いたぞ、シア!祝祭の乙女になったんだってな……パレード、楽しみにしてるから、頑張れよ」
「若旦那、長も人が悪りぃや、お嬢が城から帰ってくるまで、祝祭の乙女のことを黙っていろなんて……今まで、言いたくて、ウズウズしてましたぜ。お嬢、祝祭の乙女の役、期待してますよ!」
 仲間たちが次々とかけてくる祝いと励ましの言葉に、シアは思わず、唇をほころばせ、頬をほんのりと赤く染め「あ、ありがとう……」と照れたように言う。
 急な展開に、正直、ついていけてないが、それでも、商会の仲間たちが笑顔で楽しそうなのは、素直にうれしかった。とはいえ、幾つか気になる点がないでもなかったが……
「あ、ありがとう……みんな……」
 照れたように笑うシアだったが、ふと、色んな意味で手際がよすぎることに気づく。
 ――商会の皆は、どうして、シアが何も話さない前から、彼女が祝祭の乙女になったことを知っているのだろうか?
 ――それに、祝祭の乙女のリースだって、事前に準備をしておかなければ、ああもタイミング良く扉に飾ることは出来ないだろう。
 ――おまけに、シアは一度、祝祭の乙女の役を断った……ことになっているはずだ。それにも関わらず、シアが祝祭の乙女になった場合の準備がされていたのは、なぜか……?
 それらが導く答えは……ひとつしかない。
 誰かが準備し、計画を練らなければ、こうも上手く物事が進むはずがないのだ。
 そして、そんな風にする人物の心当たりを、シアはたった一人しか知らなかった。
 こんなことをするのは、あの腹黒策士な狸親父をおいて、他にいない!
「ふふふ……」
 犯人の目星がついたシアは、ふふふ……と不気味に笑うと、地の底をはうような声で言った。
「ふふふ……父さん、出てきなさいぃぃぃ……」
 それに対し、返ってきたのは、何とも飄々とした声だった。
「……おや?お帰り、シア。今、何か、僕のことを呼んだかい?」
 何とものん気な口調でそう言いながら、ひょい、と柱の陰から顔をだし、のんびりとこちらに歩み寄ってくるのは、シアの父、クラフトだ。
 亜麻色の髪の優男。
 穏やかで優しげな声に、人好きのする甘い笑顔と、女性にモテる紳士的な態度……そんな父の本性が、まごうことなき狸であることを、シアは微塵も疑ってはいなかった。
 そうでなければ、実の娘である自分すら、策にはめるような真似をするはずがない!
 (ああ、神様と天国のお母様……どうか、どうか、この腹黒な狸親父に天罰をくだしてください……)
 半ば本気で祈りつつも、シアは父さぁぁぁんと、地の底をはうような声で言う。
「父さぁぁぁん……これは、一体、どういうことよぉぉ!何で、あたしが祝祭の乙女の役を引き受ける前から、準備までしているわけぇぇ?」
 今にも堪忍袋の緒が切れそうなシアとは対照的に、父のクラフトは「ははっ」と鷹揚に笑うと、胸を張り、誇らしげに答えた。
 ……はっきり言って、火に油をそそぐに等しい。
「いやいや、可愛い娘の可愛い姿を見たいという、親心ゆえさ。祭りの世話役には、すでに話をつけておいたよ……僕って、良い父親だと思わない?」
「絶対、思わないわぁぁぁ!この狸親父ぃぃぃ!」
「ふっ、いつか君に伝わるって、僕は信じてるよ」
「未来永劫、永遠に来ないわ、そんな日はっ!」
 思いっきり声を張り上げたシアは、ぜぇぜぇと荒い息を吐くと、じろーっ、と父にうろんな眼差しを向けながら、警戒心もあらわに尋ねた。
「……大体、何が目的なのよ?父さん」
 じろーっと疑いの眼差しを向けてくる愛娘に、クラフトは心外だなぁ、とわざとらしく肩をすくめる。
 その態度は、わざとらしいを通り越し、もはや胡散臭い。
「いやいや、そんな……目的なんて、何もないさ。血の繋がった、かわいい我が子に疑われるなんて、パパは悲しいよ……」
 そう言って、よよよ、とわざとらしい泣き真似までする父に、シアは思いっきり白い目を向けた。
 冷ややかすぎる視線に、これ以上、わざとらしい演技をしたところで、娘からの同情は得られそうもないと悟ったのだろう。
 クラフトはあっさり泣き真似をやめると、あっけらかんとした口調で言う。
「……まぁ、それはともかく、シアが祝祭の乙女になってくれれば、リーブル商会の良い宣伝になるなぁ、とはちらっと思ったけど」
「目的なんかないとかいって、娘を利用する気、満々じゃないのっ!父さあああんっ!」
 クラフトはふっ、と笑うと、
「商人たる者、時に手段を選ばずだよ、シア……それがわからないようじゃ、まだまだだね」
と、悪びれもせず言う。
「くっくっくっ……言いたいことはそれだけ?父さぁぁぁん……」
 シアはにっこり、と綺麗に笑うと、手近にあった帳簿を振り上げた。
 この腹黒狸親父に天誅をくだすことに、何らためらいなどない!
「まあまあ……ちっとは落ち着けよ。シア」
 ちっとは落ち着け、と帳簿を振りおろしかけたシアを止めたのは、祖父のエドワードだった。
「……祖父さん」
 さながら猪のような孫娘の性格を、よぉぉぉく知り尽くしているエドワードは、ポンポンとシアの肩を軽く叩くと、なだめるように言う。
「まあまあ、おめぇの気持ちもよーくわかるが、ちっとは落ち着け。シア……聖エルティアの祝祭には、アイツも来るらしいからよ。クラフトのことは、大目に見てやったらどうだ?」
 祖父の言葉に、シアは首をかしげる。
 アイツとは……?
 一体、どこの誰が、祝祭にやってくるというのだろう?
「……アイツ?それって、誰のこと?祖父さん」
 エドワードはああ、とうなずいて、孫娘の問いに答える。
「ああ、カイルだよ。コイツ……クラフトの昔っからの友達で、俺の顔馴染みの商人だ。おめぇも、小さい時に可愛がってもらったから、覚えてるだろ?シア……アイツ、カイルが今度、祝祭の時に王都に来るぞ」
「……カイルおじさまが?」
 覚えているだろ?というエドワードの言葉に、シアはもちろん、とうなずいた。
 最後に会ってから、七、八年、かれこれもう十年近く会っていないとはいえ、幼い頃、あんなに可愛がってくれたカイルおじさまのことを忘れるはずもない。
 カイルおじさまこと……カイル=リスティンは、シアの父、クラフトの若い時からの友人だ。
 クラフトよりも、少しばかり年上。
 ガリガリに痩せていて、気の小さい子供なら泣き出すかもしれないくらいの鋭い眼光、寡黙で冗談ひとつ言わない、真面目で無骨な性格のカイルおじさま。
 そんなカイルおじさまが、何をどうまかり間違って、明るく、人当たりの良い優男、まるで口から先に生まれたような父・クラフトと友情を築いたのかは永遠の謎だが、シアが生まれる前から、共通の友人であるオスカーおじさまと三人で、よく一緒に酒を飲んだり遊んだりしていたのだと……
 シアは父親のクラフトから、そう聞かされていた。
 そんな縁で、シアも小さい頃に何度か、カイルおじさまに会ったことがある。
 表情の変化や愛想が乏しく、厳めしい顔つきをしたカイルは、寡黙で性格的には少々、気難しいところもある人なのだが、子供やお年寄りには親切で優しく、シアも小さい頃、ずいぶんと可愛がってもらったものだ。
 そんなカイルおじさまのことを、シアも慕っていたし、好きだった。
 カイルおじさまが、聖エルティアの祝祭に合わせて、この王都にやってくるというのは、シアにとっても嬉しい話だ。
 父に……クラフトに会いに来るならば、数年ぶりに自分も会うことが出来るかもしれない。
「ああ。何でも、アイツ、カイルが結婚して、若い嫁さんをもらったらしくてな。王都に祭り見物に来るんだと」
「へぇぇ、そうなんだ……」
 うなずくシアに、エドワードは笑顔で続ける。
「おう。それでカイルの若い嫁さんは、何でも祝祭に来るのが初めてらしくてな。色々、案内してやってくれと、手紙に書いてあったぞ」
 エドワードの言葉に、シアは二つ返事でうなずく。
 カイルおじさまの頼みであれば、断る理由がない。
 祝祭の乙女の役目は、祭りの最終日だから、他の日に王都を案内するぐらいの時間は取れるはずだった。
「あ、そうなんだ……わかった。そういうことなら、任せてよ!」
 頼られれば、否とは言わない性格のシアは、祖父に向かって、任せてよ!と明るい声で言う。
 笑顔のシアに、クラフトは娘の怒りの矛先がそれたとばかりに、良かった、良かったと明るく言うと、上着を手にし、その場を去ろうとする。
「いやぁ、シアが納得してくれて良かった。良かった……じゃ、仕事も終わったし、僕はこれからデートだから」
 クラフトがそう言うのと、シアの顔色が変わるのは、ほぼ同時だった。
 シアはくわっ、と眉をつり上げ、去ろうとする父の背中に向かって怒鳴る。
「父さん、話はまだ終わってないいいいい!」
「おいおい……おめぇも、いい加減、こりねぇ男だな。クラフトよ……」
 そんな父娘のやりとりを見ていたエドワードは、いささか呆れたように、そう言ったのだった。
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