女王の商人

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  祝祭と商人6−4  

 シアが女王陛下にすすめられ、もとい……父親のクラフトにはめられ、聖エルティアの祝祭での<祝祭の乙女>の役を引き受けてから、およそ一ヶ月後ことだ―― 

 聖エルティアの祝祭の明日に控えて、王都ベルカルンは国内はもちろん、他国から来た大勢の観光客で道が狭いほどに賑わい、華やかな、どこまでも明るい空気に満ちていた。
 大通りには、早くも沢山の屋台や見世物小屋が並んでおり、明日に控えた祝祭の初日を、いまかいまかと待ちわびている。
 おそらく、いざ、祝祭がはじまれば、賑やかさは今日とは比べものになるまい。
 そんな風に、王都で暮らす人々や観光客、祭りで商いをする者たち、誰もが明日の祝祭のはじまりを待ち望んでいた。

 祝祭を翌日に控えて、シアたち祝祭の乙女の役に選ばれた若い娘たちは、今日、祭りの世話役の家に集められ、最後の準備に追われていた。
 聖エルティアの祝祭の三日間のうち、彼女たち、祝祭の乙女の役目は最終日に行われる、女王陛下のパレードだけであるとはいえ、当日の打ち合わせやら、娘たちが身につける衣装の確認やら……
 何だかんだと、しておくべきことは多い。
 そうは言っても、祝祭の前日ともなれば、大方の準備はすでに終わっていて、今日、祭りの世話役の家で行われているのは、祝祭の乙女の衣装の寸法にズレがないかどうか、その最終チェックだけだった。
 祭りの世話役の家の、全ての家具を外へ出し、無理やりに広さを確保した部屋では、若い娘やらお針子たちやら、大勢の女たちでごったがえしている。
 部屋の中心には、金髪やら黒髪やら銀髪やら、年齢は十四から十七、八くらいの少女たちが、十人ちょっと。
 皆、祝祭の乙女たちである。
 祝祭の乙女の役をする少女たちは皆、祝祭の乙女の衣装を身につけたり、髪を結い上げてみたり、これとこれ、どっち髪飾りが似合うかしら?などと、隣の少女に楽しげに尋ねたりしている。
 その横では、年上の少女が年下の少女の髪をまとめるのを手伝ってやったり、背中の大きなリボンを、お互いに結んだりしていた。
 クスクスと時折、鈴の音のような、少女たちの軽やかな笑い声が広まる。
 祝祭を、晴れの舞台を間近に控えた嬉しさからか、あちらこちらで少女たちの間では、お喋りの花が咲き、笑顔や笑い声がたえない。
 あんまり、からからと笑いすぎて、衣装合わせの途中なんだから動きすぎないで、とお針子の女にたしなめられているぐらいだ。
 とにかく、美しい祝祭の乙女の衣装をまとった少女たちが、何人も並んでいる様子は、何にもまして華やかである。
 そんな祝祭の乙女に選ばれた少女たちが、当日の衣装を着たり脱いだりする横では、この日のために集められた、腕の良いお針子の女たちが、衣装の袖やらすそやらにほつれや合わぬ箇所がないかどうか、丁寧に何度も何度も確認している。
 糸が足りないとお針子の一人がぼやけば、さっと仲間のお針子が糸を手渡し、白いリボンがないといえば、誰かがそれを探し出す。
 お針子たちは仲間と協力して、手早く、だが正確に仕事を進めていく。
 祝祭の乙女は、祭りの象徴にして花形、お針子たちにとってもそれに関わることは、責任ある仕事であり、また誇りでもあるのだ。ゆえに、その仕事ぶりは真剣なものではあるが、同時に楽しげでもある。
 忙しい忙しいと、ひっきりなしにそう言いながらも、お針子たちの口元には笑みが浮かんでいた。
 そんな部屋の中で、シアも祝祭の乙女の衣装に着替えて、寸法に狂いや衣装にほつれなど不備がないかどうか、お針子の女性たちに確認してもらう順番を待っていた。
 祝祭の乙女たちの人数に合わせて、お針子の女たちも七、八人はいるのだが、それでも、祝祭の乙女、少女たちの方が数が多いので、なかなか順番が回ってこない。
 シアは「よっ……」と近くに置かれていた木箱の上に腰をおろし、大人しく、順番が回ってくるのを待つことにした。
 そして、話しかけてくる少女たちの話に相づちを打ちつつ、他愛もない冗談に笑ったりしながら、お針子たちの仕事風景を見つめる。
「……」
 シアが着ている、今年の祝祭の乙女の衣装は、清楚な白のドレスである。
 丸い袖、ふわりとすそが広がる、シンプルながら可愛らしいデザインだ。
 なめらかな白い布地、ふわりと軽やかに広がるスカートの上には、光沢のある薄い布を、幾重にも幾重にも重ねている。
 その胸元には、銀糸ときらきらと輝くビーズで刺繍がなされ、背中には大きな白いリボンが揺れていた。
 ふんわりとした柔らかな印象の、その祝祭の乙女の衣装は、年頃の少女たち、シアにもよく似合っていた。
 祝祭の最終日は、この衣装を着たうえで、頭には色とりどりの花で編まれた花冠をかぶり、手には花かごを持つことになっている。
「――シア」
 そうして、木箱の上に腰かけ、お針子たちの作業を見ていたシアだったが、その時、背中の方から「――シア」と名前を呼ばれる。
「……うん?」
 シアは振り返ると、ちらっと声の方を向いた後、木箱から立ち上がり、ふわふわした長いすそを踏まないように慎重に、声の方に歩み寄った。
 その声の方では、祝祭の乙女の衣装をまとった金髪の少女が、お針子の女にすそを直してもらっているところだった。
 シアは両手でひょい、とスカートを持ち上げて、容易に足の踏み場もないほど混んだ部屋の中、お針子や少女たちの間をぬうようにして、呼ばれた方に近寄る。
 そして、衣装を直してもらっている金髪の少女に、呼んだー?と声をかけた。
「ねぇ、呼んだー?」
 シアがそう声をかけると、お針子の仕事が終わったのか、衣装を直してもらっていた金髪の少女は 「ありがとう」とお針子の女に言ってから、体ごとシアの方に向き直る。
 その動きに合わせて、ふわりっ、と白いスカートが広がった。
 こちらを向いた金髪の少女に、シアは「わあ……っ!」と思わず、感嘆の声を上げる。
「わあ……っ!ジャンヌ、すっごく綺麗っ!」
 その言葉は心からの賛辞で、シアがジャンヌ――と呼んだ金髪の少女に、祝祭の乙女の衣装は似合っていて、美しかった。
 すらりとした高い身長、ドレスからこぼれ落ちそうに豊かな胸、きゅっ、とくびれた腰。
 その顔立ちにも子供っぽさはなく、大人びていて、外見的には、すでに少女というより女と表現する方が、しっくりきそうな娘である。
 実際には、シアとジャンヌは同い年なのだが、とてもそうは見えない。
 シアが年より下に見えることもあって、二人が並んでいると、いくつも年が離れているように見える。
 もちろん、シアが下だ。
「あら、ありがと。シア」
 きれい!というシアの言葉に、祝祭の乙女の衣装を着たジャンヌは「あら、ありがと」と、にっこり笑う。
 ジャンヌはリーブル商会の向かい側のパン屋、「べルル」の店主夫妻の一人娘であり、また近所でも評判のパン屋の看板娘である。
 面倒見の良い姉御肌な性格、さばさばした気っ風の良さや、明るい笑顔で、その接客には男女問わず、隠れファンが多い。
 ジャンヌがいなければ、パン屋の売り上げは半減するだろうと、冗談まじりに、いや、半ば本気で言われるくらいである。
 シアとは、ご近所さん。
 生まれは、たったの三ヶ月違い。
 それこそお互い、赤ん坊で床をハイハイしか出来ない頃からの、十数年の長い付き合いであり、いわゆる腐れ縁の幼なじみというやつだ。
 ジャンヌは自分と同じ、祝祭の乙女の衣装を着たシアを見て、アンタも似合ってるわよ、と笑顔で言う。
「シア、アンタも祝祭の乙女の衣装、よく似合ってるわよ」
 ジャンヌの言葉に、シアは照れたようにそう?と首をかしげると、ドレスのすそをつまんで、くるりっと、まるで踊るように回ってみせた。
 そんな彼女の動きに合わせて、光沢のある布を幾重にも重ねたスカートが、ふぅわりと軽やかに揺れ、その背に流した銀髪がなびく。
 まるでダンスを踊るように、優雅に回ってみせて、シアはへへ、と照れ笑いを浮かべる。
「へへ……そう?似合ってるなら、うれしいな。ありがと。ジャンヌ」
「本当よ。いかにも祝祭の乙女って感じで、可愛いわ。シア……アンタは大人しくしてれば、亡くなったエステルおばさんに似て、美人なんだから……」
 ジャンヌはそう言った後、
「だから……祭りの最終日、絶対、まかり間違っても、暴れたりするんじゃないわよ。あと、商売も禁止。祝祭の乙女のイメージを、崩しちゃいけないからね……わかってるわよね?シア」
と、冗談まじりに続ける。
 いくらシアでも、祝祭の最終日、華のパレードの日ぐらいは、大人しく、おしとやかにしているだろう。
 そう思いつつ、前半はさすがに冗談だが、後半は少しばかり本気だ。
 いつも商売熱心なのは感心だが、祝祭の乙女の衣装を身につけて、この商品は高いだの安いだの、売った買ったをするのは、正直、勘弁して欲しい。
 しかし、もしかしたら、シアならばやりかねないと、ジャンヌは知っていた。
 赤ん坊の頃からの付き合いであるだけに、お互い、相手の性格は知り尽くしている。
 おまけに、幼なじみであるだけに、言い方にも遠慮がない。
 幼なじみの言葉に、シアは図星をつかれたようにうっ……とうめいた後、わかってると首を縦に振る。
「うっ……わかってる。さすがに、あたしでもしないって……ちょっと、ちょっとだけ考えたけど」
 必死にそう言い張るシアに、ジャンヌは「はいはい」と、軽い調子でうなずく。
「はいはい。信じてあげるわよ。シア」
「本気だってば!」
 信じてよ、と顔を赤くするシアだったが、ジャンヌは再び、はいはいと変わらず、軽い調子でうなずくだけだ。
 元より、本気ではない。
「はいはい。わかってるわよ」
 シアとジャンヌの二人が、そんな風に気心の知れた幼なじみらしい会話をしていると、すぐ近くで、他の祝祭の乙女の少女の衣装を確認していたお針子の女が、「シア!シアさん!」と彼女の名を呼んだ。
「はーい。あたしの番ですか?」
 シアが名を呼ばれた方を向くと、前で黒髪の少女のドレスの寸法を確認していた、若いお針子が「シアさん、この次ですからね」と、ドレスのすそを持ち上げながら、針と糸を手にしたまま、顔を半分だけこちらに向けて言う。
「シアさん、この次ですからね。準備しておいて下さい。もうすぐですから」
 それだけ言うと、若いお針子は忙しげに、元の作業に戻る。
「あ、はーい」
 シアはうなずくと、お針子たちに衣装をチェックしてもらう前に、邪魔になるかもしれない髪を結っておこうと、鞄にいれてあったリボンを取り出し、自分の髪をいじり、どうにか上手くまとめようと、彼女なりに精一杯の努力した。
 しかし、シアの銀髪は、背の半分ほどの長さがあるため、なかなか一人で上手く結い上げることは むずかしい。
 サラサラしていて癖のない銀髪は、櫛でとかすぶんにはいいのだが、まとめるのは意外と面倒な上に、今は櫛も手元になかった。
 否、器用な人間ならば、そう難しくもないのかもしれないが、あいにくシアはそうではない。
 おまけに、気の長い方でもなかったので、なかなかまとまらない自分の髪と格闘していたシアは、しばらくするとイライラし、うぐぐ……と唸り始める。
 それを見かねたジャンヌが、シアにリボンを渡すよう、片手を出した。
「アンタの髪、長いから大変そうね。シア……そのリボン、ちょうだい。あたしがやってあげるわ」
 己の限界というか、己の不器用さを思い知らされていたシアは、「助かる!お願い、ジャンヌ」と心からの感謝をこめて言い、ジャンヌの手にリボンをのせる。
 シアからリボンを受け取ったジャンヌは、たかが髪を結ってあげるくらいで、大げさね……と苦笑しながら、彼女は器用にシアの長い髪を三つ編みにし、それを上手くまとめ、結い上げていく。
 手先の器用さが、シアとは雲泥の差だ。
 いや、もしかしなくても、シアが気が短いだけかもしれない。
 そうして、シアの銀髪を結いながら、ジャンヌは緑の瞳を細めて、しみじみとした口調で言った。
「それにしても……シアの髪って、ホントに綺麗ね。きらきらしてて、サラサラで……上等な絹糸みたい」
 母と同じ銀髪を褒められて、シアはえへへ……と、ちょっと照れくさそうに、でも、うれしそうに笑う。
 普段、商売のことで頭がいっぱいで、あまり自分の容姿にはこだわりのない彼女だが、亡き母譲りの美しい銀髪だけは誇りにし、大切に思っていた。
 シアが髪を切らずに長くしているのも、幼い頃に亡くなった母への想いというか、憧れゆえだ。だから、髪を褒められるのは、何よりうれしい。
「えへへ……ありがと、ジャンヌ。お世辞でも、うれしいな」
 シアの言葉に、ジャンヌは髪をいじる手を休めぬまま、何を言ってんの、と呆れ顔をした。
「お世辞なんかじゃないわよ、シア……赤ん坊の頃からの知り合いに、今さら、そんなこと言うほどヒマじゃないわ。お世辞じゃなくて、綺麗な髪だと思うわよ。まぁ……」
 昔から、気心の知れた幼なじみ同士、遠慮はいらない。
 ジャンヌは閉められたカーテンの隙間から差し込んでくる、一筋の陽光を受け、きらきらと輝く銀髪に、まぶしげに目を細める。
 綺麗ね、とそう言ったジャンヌの視線は、じょじょに下がり、シアの髪から首、鎖骨、そうして、ささやかな胸のところでピタッと止まった。
 はっきり言って、ジャンヌとは全く勝負にならず、他の同世代の少女たちと比べても、シアの胸は決して豊かな方ではない……というか、本人が自覚するくらい、ささやかだ。
 そんなシアの胸のあたりを、ちらっと見て、まぁ……とジャンヌは続ける。
「まぁ……胸はささやかなもんだけど」
「うっ……」
 密かに気にしていることを言われ、シアはうっ……と、微妙に顔をひきつらせた。
 事実が事実だけに、反論することも出来ず、シアはちょっぴりヘコむ。
 うつむいて、自分でも平べったいと思う胸をしげしげと見つめ、洗濯板みたい……と切なげに呟く。
 本気で落ちこんでいるわけではないが、そのシアの声には、どことなく哀愁がただよっていた。
「なんか、洗濯板みたい……」
「いや、そこまでは言ってないから……」
 ジャンヌは首を横に振り、やや苦笑気味にそう言うと、三つ編みにしたシアの銀髪を器用にまとめて、それを空色のリボンできゅっ、と結う。
 そうして、ほら、終わったわよ、とシアの肩をぽんぽんと叩きながら、ジャンヌは気にしなさんなという風に言った。
「いいじゃない。シアの髪、サラサラしてて、すっごく綺麗だし……あたしからすると、うらやましいわ」
 ジャンヌの言葉に手鏡を手にしたシアは、う――ん、と唸る。
 薔薇の細工がされた手鏡の中には、ジャンヌと髪を結い上げたシアが、並んで映っていた。
 シアは「あのさぁ、ジャンヌって……」と言いながら、ちらっと幼なじみの方を見て、その豊かな胸元に少しばかり、うらやましげな目を向けた。
「あのさぁ、ジャンヌって……スタイルいいよねぇ。胸はあるし、腰は細いし、良いなあ……」
 いわゆる、ボンキュボンというべきか、出るべきところは出て、引っ込むところは引っ込んだ体型をしたジャンヌに、シアはそう言って、良いなあ、と羨望の眼差しを向けた。
 母親似の容姿に、不満はない。
 むしろ、誇りを抱いているシアだったが、彼女だって年頃の娘であるから、同世代の少女をうらやましいと思うことぐらいある。
 幼なじみと比べると、まるで洗濯板のような、平たい胸……まだ将来への希望は捨ててはいないが、それを、ちょっぴり気にしていれば尚更だ。
 いや、昔はあまり気にしていなかったが、最近、あることを自覚してから、ちょっと気にしている。
「何かと思えば……いきなり、何を言い出すのよ。シア」
 いきなり羨望の眼差しを向けてくるシアに、ジャンヌはうろんな顔をして、首をかしげる。
 首をかしげた幼なじみに、シアはめずらしく、言い出しにくそうにもじもじと、ためらうような素振りを見せる。
 しばし迷った後、シアは少しばかり頬を赤らめ、大真面目な顔で尋ねた。
「男の人って……やっぱり、ジャンヌみたいにスタイルがいい女の子の方が、好きなのかなぁ?」
 そんなシアの言葉に、思いにもよらぬことを言われたジャンヌは、ぶっ、と吹き出す。
 そうして、こほんこほん……と呼吸を整えると、ジャンヌは「あたしに聞くなっ!」と叫んだ。
 シアの表情を見れば、決してふざけているわけではなく、本人なりに大真面目なのだとはわかるが、だからといって、ジャンヌにどう答えろというのか!
「あたしに聞くなっ!そのけったいな質問に、女のあたしが答えられるわけないでしょーが!というか……」
 ジャンヌはそこで一度、言葉を切ると、高かった声の調子を下げ、不思議そうに問う。
「……いきなり、そんなこと言い出すなんて、ホントどうしたのよ?シア」
 シアがそういう質問をしてくること自体が、ジャンヌには意外だった。
 ジャンヌの知っている幼なじみの彼女、シアはリーブル商会の跡取り娘として、一人前の商人になることと、リーブル商会の発展のためには努力し、情熱をそそいでいたが、どちらかというと年頃の娘らしいオシャレや恋愛には、わりと関心が薄い方だった。
 全く興味がないというわけではないのだろうが、赤ん坊の時から十数年の付き合いながら、シアにジャンヌにそういう話をしたことは、覚えているかぎり一度もない。
 国一番のリーブル商会の跡取り娘という立場ゆえに、恋人やら婿選びには慎重というのもあろうが、それよりもシア本人の奥手というか、お子様な性格の方が問題かもしれない。
 見た目は繊細で、儚げな美少女であるにも関わらず、その外見を大いに裏切る、たくましい性格が災いし、恋人がいるという話を聞いたことはおろか、好きな人がいるという話も聞いたことがなかった。
 たぶん、初恋もまだなのではないだろうか。
 ジャンヌは、そんな風に思っていたから、それだけにシアの言葉は意外な感じがした。だが、どうしたのよ?と問えば、シアは何のこと?とばかりに、きょとんとした顔をした顔をしている。
「へ?別に、何も……」
 とぼけた風でもなく、別に何もと答えたシアに、 ジャンヌは「ははぁ、さては……」と何かに感づいたように言う。
「ははぁ、さては……シア、アンタ、恋人でも出来たんじゃないの?」
「ぶっ……!けほけほっ……ぐげぼっ……」
 アレクシスには会ったこともないどころか、彼の存在すら知らないはずなのに、ジャンヌの、十六年間、一緒に育ってきた幼なじみの勘は恐ろしい。
 当たらずとも遠からずというべきか、恋人までいかず片想いであるとはいえ、幼なじみに図星をさされたシアは、思わず、ぶっ!と吹き出し、げほげほげほと派手にむせる。
 な、なぜ……?と思いながら、げほげほと盛大にむせて涙目になったシアに、ジャンヌは大丈夫?と心配そうに声をかけた。
「ちょっと、シア、大丈夫?」
 そう声をかけながら、ジャンヌはいまだ「けほけほ……」とむせ続けるシアの背を、よしよしとさすってやった。
 その甲斐あってか、ずっと派手にむせていたシアが、ようやく落ち着いてくる。
 シアは、むせすぎてうるんだ瞳をジャンヌに向け、何で……?と尋ねた。
「げほげほっ……な、何で?」
 何でそう思ったの、という意味の問いかけに、ジャンヌはただの勘よ、と肩をすくめる。
「いやね、別に、理由なんてないわよ。ただ、なんとなく……違うの?」
「ち、違うよ……!」
 あからさまに動揺しつつ、シアはぶんぶんと首を横に振る。
 アレクシスのことは好きだが、残念ながら、恋人などと言える関係ではない。
 ……というより、シアはまだ彼に告白すらしていない。
 想いを伝えてすらいないのだから、恋人とかなんとかいう以前の問題だ。
 恋人という言葉と共に、アレクシスの顔を思い浮かべ、青薔薇にさらわれたあの時、助けにきてくれた時の必死な表情や、無事で良かったと耳元でささやかれた声、抱きしめられた腕の力強さを思いだし、シアはかあああ……と再び、赤面した。
 何度でも、あの時のことを思い出すと、病気でもないのに、心臓がバクバクと破裂しそうになる。
 熱なんかないのに、頬や肌が火傷したようにあつい。
 あたしはどうしちゃったんだろうと思うと、頭がくらくらした。
 そうして赤い顔をしながら、シアは違うよと言って、恥ずかしそうに早口で続ける。
「違うよ。恋人なんかじゃない。だって……まだ、す、す、好きとかも言ってないし……」
 かああと頬を赤らめて、まだ告白もしてないし、と恥ずかしそうに言ったシアに、ジャンヌは「どういうことよ?」と、興味津々といった様子で身を乗り出す。
 野次馬根性と言うなかれ。
 リーブル商会と商売のことしか頭にないと思っていた幼なじみが、どこかの男に恋をしたというならば、それはジャンヌにとっても見逃せない事柄である。
「どういうことよ?それについて、くわしく……全て、洗いざらい、教えなさいよね。シア……お互い、オシメをしてた赤ん坊の頃から知ってる、アンタとあたしの仲でしょうが」
 くわしく教えなさいよ、と言いながら、顔を近づけてくるジャンヌに、シアはうううと唸り、反射的に後ずさる。
 決して、ジャンヌのことを信頼していないわけでも、話したくないわけでもない。だが、生まれてから十六年、ご近所で一緒に育ってきた幼なじみは、ある意味、家族のようなもので、恋を打ち明けるには、気恥ずかしさが先に立つ。
 何より、アレクシスへの想いは最近、やっと自覚したばかりで、シア自身ですら自分の心を、ちゃんと計りきれていないのだ。
 そんな状態で、誰かに恋の相談するなど、彼女にとっては夢のまた夢である。
 ……と、思うのだが、ますます顔を近づけてくるジャンヌに、シアは返事に窮し、ずるずると後ずさった結果、壁際に追い詰められた。
 ど、どうしよう……
「シアさーん!次の衣装合わせよろしく」
 その時、近くで作業をしていたお針子が、シアを呼ぶ。
 さっき、順番が次だから準備をしておいて、とそう教えてくれた若いお針子だ。
 そのお針子の声は、今のシアには有り難かった。
「はい!今、いきますー。じゃ、またね!ジャンヌ」
 シアは長い祝祭の乙女の衣装のすそを、よっと指の先でつまむと、自分を呼んだお針子の方へと、早足で歩み寄った。
 またね、と取り残されたジャンヌは、ちょっと!とその背に向かって声をあげる。
「あっ!シア!ちょっと……」
 まだ話を聞いてない、と言いたげな幼なじみに、シアは一瞬だけ振り返り、「そのうち話すよー」とだけ返すと、あとは振り返りもせず、 お針子の元へと歩いていった。


 青い空が、ゆるやかに夕焼けの色に染まる頃――
 祝祭の乙女の最後の打ち合わせを終えたシアは、衣装から普段着に着替えて、家路を急いでいた。
 祝祭を前にして、観光客でごったがえしている大通りをさけ、地元の人間しか知らない近道を走る。
 靴の先で地面を蹴り、リーブル商会へと急ぎながら、シアは思った。――今日は、お客さんの来る日だから、早く帰ろうと思っていたのに、思ったよりも遅くなってしまった。もしかしなくても、もう到着してしまっているだろうか?と。
 そう思いつつ、シアは走る速度を上げた。
 焦りながら走っているうちに、細い裏道を抜け、リーブル商会の前へとたどり着く。
 リーブル商会の横手に、客人のものだろう、何やら見慣れぬ馬車が止まっていることを視界の端に入れつつ、シアは祝祭の乙女のリースがかけられた商会の扉に手をかける。
 扉を開け、彼女は「ただいまー」と仲間の商人たちに声をかけながら、中へと入った。すると、部屋の奥、来客用に置かれたテーブルと椅子の方に、父、クラフトの亜麻色の頭が見える。
 クラフトと向き合って、同じテーブルに腰をおろしているのは、二人の男女だ。
 その男女の片割れ、鋭い目をした男の方は、シアもよく知る人物である。
 シアが父がいるテーブルの方へと、小走りで近づくと、その気配に気づいたのか、クラフトがやあ、と振り返った。
「やあ。おかえり、シア」
 愛おしげに目を細め、穏やかに微笑みながら、父は娘におかえり、と声をかける。
 その声は明るく、どこか楽しげだ。
 明るく、人好きのする性格で、普段、暗いところなど家族にさえ滅多に見せないクラフトだが、今日はいつもにも増して、機嫌が良さそうだった。
 そんな上機嫌の父に、シアは遅くなってごめん、と頭を下げる。
「父さん、ただいま。遅くなって、ごめん」
 クラフトはいいや、と軽く首を横に振り、同意を求めるように、自分の正面に座っている男の顔を見た。
「いいや、二人とも、今さっき、到着したところさ……君が、こうしてシアに会うのは、たしか数年ぶりじゃないかい?カイル」
 問いかけられたことで、クラフトの正面に座っていた男がのそりと動き、椅子から立ち上がった。
 そう若くはない。
 年齢は、クラフトよりも少々、上といったところだろう。
 立ち上がった男の背は高く、無駄な贅肉を全て削ぎ落としたように痩せていて、その顔には表情らしい表情がなく、まるで彫像のようだ。だが、その眼光だけは、獲物を狙う鷹のように鋭い。
 冷徹そうな印象を受ける容姿や、鋭すぎる眼光は、お世辞にも優しげとはいえず、はっきり言って、幼い子供なら怯えて、わんわん泣き出すかもしれないくらいだ。
 こちらを見下ろしてくる無表情が、冷徹そうな印象に、拍車をかけている。
 そうして、その彫像の如く無表情な男は、黒のまじった灰色の瞳にシアを映すと、低く、全く抑揚の感じられない声で「……シアか?」と言った。
 シアは「ええ」とうなずいて、ついで嬉しそうに、にっこりと笑う。
 数年ぶりの再会だ。
 嬉しく、懐かしくないはずがない。
「ええ。お久しぶりです。カイルおじさま」
 シアは彫像のような無表情に、鷹のごとく鋭い目をした男に、カイルおじさま――と、そう呼びかけた。
 彼女の声には、懐かしさと、まぎれもない親愛の情がこもっている。
 その男――カイル=リスティンが、いかに冷徹そうな外見をしていようとも、それにシアが怯えることは全くない。
 カイルおじさまはオスカーおじさまと同じく、父・クラフトの古くからの親友の商人であり、幼い頃からシアを実の娘のように可愛がってくれた人だ。
 たとえ数年ぶりの再会であっても、そのことを忘れるはずもない。
 何より、この子供が怯えるくらい鋭い目をしたカイルおじさまが、実は、とても優しく、また義理堅い人だと知っていれば、怯える必要など微塵もないのだ。
 その男、カイルはシアの言葉に、頬の筋肉をほとんど動かさぬまま、 ああ、と淡々とうなずいて、唇を開いた。
「ああ……久しいな。シア。七、いや、八年ぶりか……」
 懐かしそうな言葉を口にしながらも、相変わらず、無表情なカイルは、口元に笑みを浮かべるどころか、眉すらピクリとも動かさず、声の調子すらも全く変わらない。
 不自然なくらい、表情が変わらないので、よもや怒っているのかと勘ぐりたくなるところだが、それは違う。
 これが、このカイル=リスティンという男の地なのだ。
 シアもそれに慣れきっているから、今更、何とも思わない。
 ほとんど表情を変えず、淡々と喋るカイルだったが、数年ぶりに会った親友の愛娘を見て、「久しいな。シア。七、いや、八年ぶりか……大きくなったな」と言った時だけ、黒に近い灰色の、鋭い瞳がわずかに、ほんのわずかに和んだ。
 それは、ほんの一瞬のことではあったけど、その瞬間は鷹のように鋭い目が、嘘のように優しく見えた。
 言葉は少なくとも、赤ん坊の時から知っているシアの成長を、心から喜んでくれているのだということが、その優しい眼差しから伝わってくる。
 亡くなったエステルさんに似てきたな、という言葉は、向き合う銀髪の少女の耳には届かず、カイルの喉の奥にのみ留められた。
「カイルおじさま……」
 八年ほど会わぬうちに、記憶に残っている幼い姿よりもだいぶ成長し、すっかり娘らしくなったシアを見て、過ぎ去った年月に思いを馳せつつ、相変わらず、どこまでも淡々とした声でカイルは続ける。
「しばらく会わなかったが、元気にしていたか?シア」
 シアは「はい」と答えて、カイルおじさまも……と微笑む。
「はい。カイルおじさまも、お元気そうで、安心しました」
「ああ」
 カイルはうなずくと、ふっと思い出したように、銀髪の少女の目を見て続ける。
「ああ……そうだった。シア、今日は、前に約束していたものを、持ってきたぞ」
「え……?約束してたもの?」
 カイルの言う約束とやらに、心当たりがなく、シアは不思議そうに首をかしげた。――カイルおじさまとあたしが、昔、何か約束をしたことなど、あっただろうか?
 約束してたものを持ってきたとは、一体、何を……?
「欲しがっていただろう。土産だ」
 約束していたものだ、と言いながら、カイルは床に置いてあった大きな白い袋を手に取ると、しゅるると口に結んであった青いリボンを外し、その中身を取り出す。
 袋の中から取り出されたのは、ふわふわ、まっしろなもの。
 ふわふわしたそれは、片手では抱えきれぬほど大きくて、両手ですら少し余るくらいだ。
 長い耳と綿のしっぽが、ふわふわで可愛らしい。
 赤いガラス玉の目と黒い糸で縫われた口元も、思わず、ぎゅっとしたくなるくらい、かわいい。
 そう、カイルが袋から取り出したのは、大きな、ウサギのぬいぐるみだった。
 ……ぬいぐるみ?
 シアは一瞬、呆気に取られて、カイルおじさまの腕に抱かれた、小さな子供ほどの大きさのあるウサギのぬいぐるみを、まじまじと見つめる。
 (あ……よく見ると、ふわふわで可愛い。小さい時、母さまがまだ元気だった頃には、時々、こういうのを買って欲しいってねだったっけ……って、違う!なぜ、カイルおじさまが、ぬいぐるみ?)
 心中、首をひねりながら、シアは恐る恐る、大きなウサギのぬいぐるみを抱えたカイルを仰ぎ見る。
 いかに、ふわふわのウサギが可愛らしかろうとも、それを抱えるのが、彫像のように無表情な男では、全くといっていいほど絵にならない。いや、別に何ら不都合はないのだが、なんと言うかこう……
「カ……カイルおじさま?それ……?」
「……約束していたものだ。受けとれ」
 シアの心境を知ってか知らずか、カイルは眉ひとつ動かさず、腕に抱えていた大きなウサギのぬいぐるみを、受けとれ、とシアに向かって差し出す。
 目の前に差し出された、ふわふわのぬいぐるみに、シアはちょっと戸惑いつつも、両手を伸ばし、それを受け取った。
 小さい子供ほどの大きさのそれは、シアの両腕でやっと抱えきれるほどだ。
「わふ……あ、ありがとう。カイルおじさま」
 もらったウサギを落とさないよう、シアは胸の前でぎゅっ、と抱える。
 ぬいぐるみをもらうなんて、小さな子供の時以来だと、そう思いつつ。
 ふわふわ、頬ずりしたくなるような綿の感触が、心地よい。
 横にいたクラフトが「良かったね。シア」と娘に声をかける。
「……ずいぶん前に約束したのに、遅くなってすまなかったな」
 すまなかったなと詫びるカイルに、シアはウサギを隣の椅子に座らせると、ぶんぶんと首を横を振る。
「う、ううん……ありがとう、カイルおじさま。大切にします」
 ありがとうと、笑顔で礼を言いながらも、シアにはひとつ憂いというか、気になることがあった。それは……
 ――約束なんてしたの、もう何年前のことだろう?全然、全く、覚えてない。
 カイルおじさまの言う約束とやらを、おじさまには申し訳ないことに、シアは全く思い出せないのだ。
 たぶん、シアが小さい時に、カイルおじさまとした約束なのだろうが、いかんせん、幼い子供の時の記憶などあいまいだ。
 おじさまとの約束の内容はおろか、そんなものがあったことすら、シアはすっかり忘れていた。
 しかし、小さな子供とした約束を、律儀に何年も覚えていてくれて、それを果たそうとしてくれたらしいカイルおじさまに、何の約束をしたのか、全く覚えていないと言うのは気が引ける。
 でも、覚えているフリをするのも、少しばかり気がとがめ、シアは覚悟を決めて、唇を開く。
「あの、カイルおじさま……」
 シアがおじさまと呼びかけた、その時だった。
 カイルの背中の方から、穏やかな女の声がする。
「あなた」
 カイルの陰にかくれて、女の声は聞こえても、姿はよく見えなかったが、シアはちょっと横にずれて、その声のした方を見た。すると、ふわっと甘い香りが、鼻先をくすぐった。
 香水だろう。
 きつすぎず、あたたかい春の風を思わせるような、やわらかな香りは、持ち主の趣味の良さを思わせる。
「ああ……」
 あなた、と呼ばれたカイルは、いったん後ろを振り返ると、再び、前へと向き直った。
 それに合わせるように、カイルの陰にかくれていた女性が、ゆったりとした、優雅ささえ感じるような動きで、一歩、音もなく前へと踏み出した。
 クリーム色のドレスのすそが揺れる。
 ――同時に、春の風にも似た、やわらかな香りが広がった。
 そうして、カイルおじさまの隣に並んだ女性の美しさに、その優雅で洗練された所作に、シアは目を奪われる。
「あなた、その方が……?」
 ゆるやかに波打つ、黄金の髪が美しい、優しげな顔をした若い女は、そう言って、翡翠色の瞳をシアへと向ける。
 そうした何気ない仕草のひとつひとつが、シアの目から見ると気品があり、美しかった。
 あなたという呼びかけに、カイルは軽くうなずき、
「ああ、紹介が遅れたな。シア。これが、私の妻の……」
と、自分の隣にいる黄金の髪の若い女を、己の妻を紹介した。
 その言葉を続きを、カイルの妻である女自身が引き取る。
「――シルヴィアと申します。お会いできて、嬉しいですわ。シアさま」
 カイルの妻、シルヴィアと名乗った若い女は、翡翠の瞳を細めて、にっこりと微笑んだ。
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