女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  絵画と商人 7−4  

 色々な意味で、驚きだったディークとの初対面の、翌々日――。
 アレクシスは、シアと共に王城に行くため、リーブル商会への道のりを歩いていた。
 王都ベルカルンを、否、国を挙げた祝祭が終わったばかりだというのに、ありとあらゆる店が軒を連ねる大通りは、今日も変わらず、売り手と買い手の熱気と、いっそ騒がしいほどの活気に満ちている。
 おまけに、今日は、果物市が立つ日だということもあり、更に賑やかだった。
 (いつ歩いても、賑やかなのは、さすが女王陛下の都としか言いようがないな……故郷とは、まったく違う)
 道すがら、あちらこちらの露店を、ひやかすでもなく横目に見ながら、アレクシスはそんなことを思う。
 四季折々、朝昼晩、いつも賑わいに満ちているのは、やはり王都という場所の特性であるのだろう。
 そういう騎士の故郷である、ハイライン伯爵家の領地はといえば、森深く、自然豊かで、広大な畑の横では牛や馬が戯れる、肥沃で実り多い土地であり、純朴で人の良い領民たちが暮らす、穏やかな場所だ。
 故郷で、素朴だが穏やかな人々に囲まれて育った彼は、最初の頃、王都の賑わいに戸惑ったものだが、もうだいぶ慣れつつある。
 一端、慣れてしまえば、故郷の大地とは違った形で、人々の息吹を感じれる此処は、決して過ごしにくい場所ではない。
 少しばかり遠ざかりつつある、故郷の記憶を辿りながら、歩を進めていたアレクシスの目に、『ベルル』という看板を下げたパン屋から、紙袋を抱えて出てくる男の姿が映った。
 黒髪、がっしりとした体格と対照的な、やや下がり気味の眉が、優しげな印象を与える。
 それが見知った姿であったので、アレクシスは眉をあげ、その男の名を呼びかけた。
「オスカー……殿?」
 その呼びかけが、耳に届いたのか、その人がゆっくりと、アレクシスの方が振り返った。
 青のまじった灰色の瞳が、こちらを映し、その口元がやわらかくほころぶ。
 ああ、久しぶりですね、とその人は――オスカー=ライセンスは、言った。
「ご無沙汰しております、オスカー殿。お元気でしたか?」
 アレクシスはそう声をかけながら、二、三歩、オスカーの方へと歩み寄った。
 ええ、おかげさまで、と柔らかな声で応じた男は、アレクシスの健康そうな姿を見て、「そちらもお変わりないようで、良かった」と、青灰まじりの目を細める。
 何気ない言葉、だが、その眼差しは、どこかあたたかい。
「最近は、王都にいらっしゃるのですか?」
 オスカーの両手にある、パンの良い香りがただよう紙袋を見やり、アレクシスはそう尋ねる。
 リーブル商会の長・クラフトと旧知の友人である、オスカーは自身も、割合に名の知れた行商人であるということだった。
 一般的に、行商人というのは、あちらこちらの街を飛び回り、商品を仕入れ、遠方の地で売りさばく。ゆえに、一か所に留まることは、あまりない……という風に、彼は認識していたのだが、違うのだろうか。
「いいえ、そういうわけでもないのですけどね、少々、商人のカイルという男からの頼まれ事がありまして……最近は、フェンリルクと王都との往復が多いのですよ」
「そうなのですか……」
 アレクシスはうなずいて、二、三、言葉を続けた。
 それに対し、オスカーもゆったりと適度な間を置きながら、ポツリポツリ、と近況を口にする。
 寡黙、という程ではないにしろ、オスカーもアレクシスも決して、多弁な性質ではない。にも関わらず、ときおり訪れる、穏やかな沈黙は悪いものではなかった。うまく呼吸が合う、というべきか。
 (オスカー殿と話していると、なぜか落ち着くな……)
 穏やかな会話を重ねながら、アレクシスはそんなことを思う。
 そう長い時間、一緒に過ごした経験があるわけでもないのに、なぜか安心するというか、ホッと息がつける気がするのだ。
 例えるなら、母上やセドリックと共に過ごす時のような、親しい身内のような、あたたかな空気を感じる。
 亡き父上の知り合いだから、かとも思ったが、それだけでもない気もした。
「……少し会わないうちに、また背が伸びましたか」
 ほんの数月、顔を合わせぬうちに、また少し少年の幼さを消しつつある、青年の横顔に、オスカーは感慨深げに言った。 
 お父上に似てきましたね、という言葉は、口には出されなかった。
 ただ、目がそう言っていた。
 その灰の瞳が、あまりにも優しかったので、アレクシスはつい、気になっていたことを尋ねる。
「あの、父とは何処で……」
 問われたオスカーは、ふっ、とやわらかく微笑う。
「昔……貴方が生まれるよりも、前の話ですよ」
 やんわりとはぐらかし、オスカーは話題を変えた。
「アレクシス殿は、何処かに行かれる途中ですか?」
「はい。リーブル商会へ、今日は王城へ上がる日ですから」
 アレクシスの返事に、オスカーはなるほど、とうなずく。
「リーブル商会ですか、私も後程、訪ねるつもりだったのですよ。東国から、知り合いの商人が戻ってきたらしいので……後で、会いに行くつもりです」
「ああ。その方なら、一昨日、初めてお会いしました。何でも、はるばる東方から帰って来られたとか」
 オスカーの言葉に、アレクシスは先日の、ほんの一瞬なのに、強烈な印象を残した出会いを思い出す。
 東国から帰って来たばかりだという、亜麻色の髪の青年――。
 シアが逃げ出そうとしたり、逃げたり、逃亡したり……まあ、色々ありすぎたせいで、名乗るどころか、マトモに会話すら出来なかったか、忘れ難い出会いではあったので、一応、顔だけはわかる。
 そんな彼に、「彼は、シアの遠縁にあたるのですよ」と、オスカーが教えてくれる。
 語る相手に好感を持っているのか、続けられた声は、穏やかだった。
「年こそ若いが、実に優秀な男ですよ。彼は……なにせ、クラフトが冗談交じりに、シアの婿候補にどうかと、そう言っていたぐらいですから」
 オスカーがそう言った時、アレクシスは一瞬、眉を寄せ、わずかに驚いたような顔をした。
 いや、もともと、そう表情豊かとはいえぬ青年のことだ。 
 声には出さずとも、内心、かなり驚いていたのかもしれない。
 その驚きを見て取ったのか、オスカーは軽く首をかしげ、フォローするように続けた。
「いや、まあ、シアがまだ子供の時の話しですけど、ね」
 続けられた言葉に、安堵を覚えつつ、胸によぎった動揺を抑え込み、アレクシスは淡々と相槌を打った。その後も、少し喋った気がするが、あまり頭に残らなかった。
 では、と互いに手を振り、別れる。
 別れ際、アレクシスの心に、わずかな波紋が広がった。 



「ううう……」
 シアは、不機嫌だった。
 柱の陰から顔を出し、きりきりと爪を立てながら、歯ぎしりする。
 可憐な唇からもれる怨嗟の呻きや、ただならぬ気迫のこもった眼差しは、近づくことすら、ためらわれるほどだ。
 いつになく、おどろおどろしい気配をまとった少女に、「あの、シアお嬢さ……」と、声をかけようとした猛者は、ものの見事に撃沈し、皆ひそひそと遠巻きに見守るだけである。
「うぅ、ディー兄ぃぃぃ……」
 彼女の不機嫌の原因は、他でもない。
 一昨日、嵐のように、リーブル商会に戻ってきた男、ディークだ。
 柱から顔をのぞかせた、シアの青い瞳に映るのは、長旅の疲れも感じさせず、バリバリと働く青年の姿である。
「ディークさん。この手紙、東国からきたやつなんですけど、こっちの言葉に訳してもらえませんか?」
 異国の言語で書かれた手紙を、困り顔で掲げる新人に、ディークはいいよ、と笑顔で応じる。
「うん、いいよ。僕の机に置いておいてくれるかな。午後までには、やっちゃうから」
「この商品、どれくらいの仕入れ値が妥当だと思います?ディークさん」
「80か85……いや、もうちょい下か……細かいところは、長に確認して、詰めておいて」
「あー。ディークさん、確か、南の、ティルディア語も喋れましたよね?ちょっと、見て欲しいものが、あるんですが……」
「はいはい。ちょっと待っててね。こっちを終わらせたら、すぐやるよ」
 頼まれ事が一段落すると、今度は年嵩の商人が、「ディークよぅ」と野太い声で、彼の名を呼んだ。
「ディーク、それが終わったら、ちょいと力かしてくれや」
「へいへい。わかってますよ……まったく皆、はるばる長旅から帰ってきた男を、労ろうって気持ちがないのかい?」
 あちらこちらから頼られて、忙しい中でも、笑顔を絶やさず、朗らかな軽口を叩くディークに、周りの商人たちから「労ろうって、気だけはありますよ。気だけは」だの、「おぅ。ま、思うだけなら、タダだからな。ガハハッ!」だの、あたたかくも容赦のない声が返る。
 亜麻色の髪の青年は、
「みんな、二年ぶりだっていうのに、ほんと優しいなぁ。感動で、涙が出そうだ」
などと、冗談を言いながら、仕事へ戻っていく。
 そうやって、商会の仲間たちと、軽口を叩きあう様は、つい数日前、遥か東の地より帰国したばかりとは思えず、二年というブランクも感じられなかった。
 一方、そんな光景を見て、面白くないのはシアだった。
 ガリッ、と柱に立てた爪に力がこもる。
 ディー兄……あの魔王が、つい一昨日、商会に帰ってきたばかりだというのに、あっという間に馴染んで、しかも周りの皆から、頼りにされまくっているなんて……何というか、腹が立つ!
 (あたしには、あんな真似をしてくれたくせにいぃぃぃ!何なのよ、あの愛想の良さは!)
 ただの嫉妬だと、彼女自身、よーくわかってはいるものの、気に食わないものは、気に食わないのだ。
 そんな彼女の視線に、気づいてか気づかぬか、ディークは生来の愛想の良さと機転を、十二分に発揮し、ブランクを感じさせてない仕事ぶりで、周囲の信頼を集めているようだった。
 自分の仕事をこなす合間に、新米に東方の言語を教えてやり、おまけに……重いシーツの籠を抱えて、えっちらおっちら苦労するメイドの子がいれば、横から、ひょいと手を貸してやる程のスキのなさである。
 シーツの山をのせた籠を、ひょいと片手でさらわれたメイド、べリンダは、「あ、ディークさん……」と、驚いた声を上げるが、青年はニコッ、と微笑しただけだった。
「大変そうだね。ちょっと手伝うよ……これ、何処に持っていけばいいの?」
「そんな、それは私たちの仕事ですから、ディークさんに手伝っていただくわけには……」
「いいの、いいの。これぐらいは、男の見栄なんだから、ね?」
 わざと、おどけた風に言うディークに、籠を取り上げられたべリンダは小さく噴出し、クスクスと喉を鳴らしながら、「では、お言葉に甘えて」と言う。
 代わりに、シーツの籠を抱えた青年も、つられたように笑い、メイドに言われた場所に足を運んで行った。
 それが、恩着せがましければ、まだ嫌味の良いようもあるのだが、ただの親切心に見えるところがまた、いっそう腹立たしい。――相変わらず、嫌味な位、スキというものが存在しない男だ。
 表面だけ見ていれば、穏やかで、頼りになる青年という印象しか受けない。
 絶対、みんな、魔王である奴の本性を知らないのよっ!と、シアは歯噛みする。
 なんかもう、自分でもどうかと思うが、幼少時から身に染みついた恐怖というものは、簡単には拭い去れない。ディー兄と出会ってからというもの、わが身に振りかかった様々な災難を思い起こし、シアの唇から、ギリギリと歯ぎしりの音がもれた。
「……何を、しているんだ?」
 その時、柱にしがみついた少女の横から、いささか呆れたような声がかかる。
 耳慣れたその声に、シアがそちらへ向き直ると、黒髪の青年と目が合った。アレクシスだ。
「あっ、アレクシス……もう、王城に行く時間だっけ?」
 女王の商人としての相棒、商会を訪ねてきた騎士の青年に、シアはそう尋ねる。
 今日は、エミーリア女王陛下のご命令で、王城に上がる日だ。
 まだ約束の時間までは、だいぶ間あるが、一度為した約束を何より重んじる、アレクシスのことである。おそらく、女王陛下への非礼にならぬよう、かなり余裕をもって屋敷を出て来たに違いない。
 そんなシアの予想を認めるように、アレクシスは「いや……」と、首を横に振った。
「まだ、時間は早いがな……柱の影に隠れて、怪しい……コホッ、コホンッ、失礼。いや、一体、何を?」
 問う前から、ロクでもない予感をビシビシと感じて、アレクシスは盛大にむせた。
 柱の影から顔をのぞかせ、悪鬼のような形相で、歯ぎしりする銀髪の美少女……もう、何とも言えず、怪しいを通り越して、悪夢でも見そうな光景である。
 その視線は、つい先ほどまで、ディークという青年がいた方へと向けられていた。
 案の定、シアはふんっ、と鼻を鳴らすと、
「見れば、わかるでしょ?ディー兄に、闇討ちの機会をうかがってるのよ」
と、後ろめたいことを、堂々と言い放った。
「闇討ち……?ディー兄、あの人、ディ……ディークさんだったか」
 困惑しながらも、アレクシスは何とか、つい先日、たった一瞬の邂逅で、脳裡に鮮烈な印象を植え付けていった男の名前を口にする。
 確か名前は、ディーク……ディーク=ルーツだった、はず……。
 見た感じは、商会の長であるクラフトによく似た、穏やかそうな優男なのだが、その登場はといえば、こちらのド肝を抜くようなものだった。
 その時、アレクシスはといえば、壁に激突したあげく、ぐったりしていたシアを助けるのに忙しく、ロクに顔を合わせてもいなかったのだが、とはいえ、あの強烈な出会いを忘れるはずもない。さながら、嵐のような出会いだった。
 (しかも、あの男の目、歴戦の勇士じみた鋭さだったな……)
 ほんの一瞬、向けられた視線の鋭さに、息を呑んだことを思い出し、アレクシスは微かに目を伏せる。
 ただの商人であるはずの男の目には、抜き身の刃に似た鋭さが宿っていた。
「君は……?」
 問いかけと共に、喉元に突きつけられた、あの視線――。
 あの目を見ただけでも、ディークという男が、ただ愛想の良い優男というわけではないのがわかる。
「……そうよ」
 アレクシスの言葉に、シアは重々しく同意する。
 あの魔王よ、と付け加えるのも、忘れずに。
 そうして、やや思いつめたような表情で、騎士の彼を見上げると、鈴を鳴らすような可愛らしい声音で、「アレクシス!あたしに、闇討ちの仕方を教えてっ!」と頼み込む。
「……無茶を言うな」
「騎士なんだから、闇討ちの仕方の一つや、二つ、精通してるでしょ?なら、ディー兄に勝てる方法ぐらい、あたしに教えてくれてもいいじゃない!減るもんじゃないし!」
「俺の良心と寿命が、減るだろう。それは!というか、闇討ちに精通した騎士という時点で、問題を感じるのは、俺だけか?」
 身長差ゆえか、上目遣いにこちらを見上げてくるシアの、一途な眼差しはたいそう可愛らしいが、言っている内容はといえば、物騒きわまりない。
 期待をこめ、潤んだ青い瞳や、薄紅を思わせる頬を見ていると、一にも二もなくうなずきそうになるのを、アレクシスは、かろうじて理性で耐えて、首を横に振った。
 騎士として、悪魔に良心を売り渡すわけにはいかない。
 彼の返事が不満だったのか、シアはむぅ、と顔をしかめる。 
「何よ、ディー兄なんて……ちょっと仕事が出来て、ほんの少し人当りが良くて、そこそこ異国の言葉が喋れて、ちょびっとだけ腕が立って、ほんの少ーし皆から頼りにされれて……ただ、それだけじゃない。全然、大したことないわ!」
 最後の方、尻つぼみになりつつも、シアはそう言い張った。
 昔からの付き合い上、ディー兄の優秀さはよくわかっているが、絶対に、認めたくないのだ。
 たとえ意地っぱりでも、負けたくないのである。何よりも――積もりに積もった、数々の恨みつらみ。あと、ワサービの恨み、晴らさずにおくべきか!
「なるほど……シアがそこまで言うなら、すごい人だな」
「うぐぐ……」
 皮肉に満ちた言葉の裏を読み取り、アレクシスが素直に感心すると、シアは「うぐぐ……」と呻いて、めちゃくちゃ不機嫌そうな顔になる。
 苦虫を噛み潰したような表情で、少女は必死に「で、でも」と言葉を重ねた。
「ディー兄の腹黒さ、見たでしょう?どんなに外面がよくたって、一皮むけば、魔王よ……そう思わない?リタ」
 たまたま横を通りかかったメイドのリタに、シアは同意を求める。
 リタの黒髪には、ディークが東国のお土産だと、商会の女性陣に贈ったかんざしが、しゃらしゃらと涼やかな音を奏で、揺れていた。
 あわい薄紅の、異国の花を模したそれは、東洋風な顔立ちをした彼女に、よく似合う。
 すがるような目を向けてくるシアに微苦笑し、リタはほぅ、と頬を手をあて、
「相変わらず、困ったものですわね。あの方は」
と、言う。
 ようやく得られた唯一の味方……!とばかりに、シアはぎゅう、とリタに抱きつく。
「ううっ、あたしの味方はリタだけよ!ディー兄、他の人には笑えるぐらい外面良くて、親切なのに、何であたしだけえええええ!」
 納得いかないと吠えるシアを、まあまあ、とリタがなだめた。
「まあまあ。昔っから、ああなのですよね。ディークさんは。本当に可愛がっている相手には、あえて……というか」
 ほんとうに困った方ですわ、とリタが苦笑にも似たものを、唇にのせる。
 それに合わせるように、しゃらん、とかんざしが鳴った。
「――シア」
 そんな風に噂をしていると、噂をすれば、というべきか、いつの間にやら、こちらに戻ってきていたディークが歩み寄ってくる。
 どこから話を聞いていたのか、とアレクシスは軽く目を見開いた。
 柔和な笑顔で、こちらに歩み寄ってきた彼は、再び柱の影に隠れようとしたシアに、サラリと辛辣な言葉を投げつける。
「シア、そんなところでヒマしてるぐらいなら、こっちの仕事を手伝ったらどうだい?」
 ヒマじゃないわ、とシアはディークを睨む。
「あいにくとヒマじゃないわよ!ディー兄……これから、女王陛下にお会いするために、王城へ向かうんだから!ね、もう出かけるわよね?アレクシス?」
「ああ、まぁ」
 シアから、強引な問いかけと、うなずいてよ、うなずいてくれなきゃ……あたしがどうなるかわかってるんでしょう?とでも、言いたげな、切羽詰まったような顔を向けられて、アレクシスは「まぁ」と言葉をにごした。
 道が混む場合に備えて、馬車とはいえ早く出発した方がいいだろうが、それだけでなく、シアの表情からは必死さが伝わってくる。
「ああ。長から、聞いたよ。女王陛下のお役目か……しっかりするんだよ」
 シアの渾身の主張が実ってか、ディークは一応、納得したようにうなずきつつも、「帰ってきたら、東方との貿易の資料に目を通しておくように」と、告げる。
 それは、もっともな指示であったので、今度はシアも反論を口にせず、「わかったわ」と素直に首を縦に振った。
 ついで、ディークは少女の隣に立つ、騎士の青年へと目を向ける。
 アレクシスと正面から目が合うと、まるで何事もなかったように、明るい声で言った。
「やあ、一昨日もお会いしましたね」
 アレクシスが「ええ」と控え目に応じると、ディークは商人らしいソツのなさで、流れるように淀みなく名乗った。
「先日は、異国より戻ったばかりで、きちんとしたご挨拶も出来ず、失礼致しました。わたくしは、リーブル商会所属の“銀貨”の商人、ディーク=ルーツと申します。以後、よしなに」
 名乗られれば、名乗り返すのが、貴族平民問わず、礼儀というものだ。
 アレクシスもまた、伯爵家の子息としての教育に乗っ取り、品位ある振る舞いを心がけた。
「こちらこそ、ご挨拶が遅れて、ご無礼を致しました。アレクシス=ロア=ハイラインと申します。畏れ多くも王家より、剣を賜っております。どうぞ、お見知りおきを」
「はい。先代と長から、お話は伺っております。騎士でいらっしゃると……今のご時世にはめずらしく、高潔な志をお持ちとか、ご立派なことです」
 口調こそ丁寧だが、そう言ったディークの目に、一瞬、嘲りにも似た色がよぎったのを、アレクシスは見逃さなかった。
 いえ、と首を振る間さえ、ずっと値踏みされているようで、居心地は良くない。
 それとなく、敵意に似たものを感じる。
「いつもウチのじゃじゃ馬娘が、お世話になっているようで、感謝と……ご同情申し上げますよ。大変でしょう?」
 ディークはふと慇懃な態度を崩すと、冗談めかした口調で、微かに口角をつり上げる。
 本気でそう思っているというよりは、アレクシスがどう応じるのか、試そうとしているようだった。
 何と応じていいものか、アレクシスが戸惑っていると、シアが「もう、さっさと行かないと、遅刻するわよ!」と、強引に彼の腕をひいた。
「じゃ、行ってきます!」
 早く早くとアレクシスを促し、シアは焦ったように足早に、商会を飛び出していく。
「いってらっしゃい。気をつけて」
 扉の方に駆けていく、青年と少女の背中を、ディークはにっこり笑って見送った。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2011 Mimori Asaha All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-