女王の商人

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  海賊と商人 8−10    

「僕の何が、あの青二才に劣っていたんでしょう?クラフトおじさん……いえ、長?」
 場所は、リーブル商会、長の部屋。
 琥珀色のグラスを傾けて、ディークは納得いかないという風に、首をかしげた。
 珍しく、憮然とした態度を隠そうともしない青年に、かれこれ十数年の付き合いのクラフトは、苦笑を浮かべて、まあまあ、となだめた。
 日頃、自信にあふれ、またそれに相応しいだけの実力も備えている男だ。
 どこまで本気だったかは怪しいものだが、シアがわずかもなびかず、アレクシスを選んだことには、少なからず、プライドを傷つけられたに違いない。
 ただの憶測に過ぎないが、こうして、クダを巻いているところを見ると、あながち外れてもいないだろう。
 女王陛下のご依頼、結局、見つかったのは、宝の地図のまがい物だけだったらしいが……とにかく、役目は果たしたような、果たさぬようなで、港町、エメスディアから王都に戻ってきて以来、この青年の機嫌は、すこぶる悪い。
 何でも、帰りの馬車の中でも、シアはアレクシスの怪我の具合ばかり心配し、ディー兄は殺したって死なない人だから、大丈夫!とのたまわってくれたらしい。
 しかも、アレクシスが同情気味に、具合を尋ねてきたことで、余計に腹が立ったそうだ。
 ものの見事に、フラれましたよ。ひどいと思いませんか?あのアレクシスとかいう騎士より、僕の方がずっとずっと前から、シアをいじって……いや、見守ってきたというのに。
 そう嘆いて、ぐびっ、とヤケ酒をあおったディークのグラスに、さらに酒を注いでやる。
「僕も、まあ、君の方がよい男だと思うけどね、ディーク……」
 クラフトがそう言うと、魔王とも呼ばれた青年は、半ば据わった目をして、当然でしょう、とうなずいた。
 大体、長こそ悔しくないんですか、あんな青二才に、大事なお姫さまをかっさらわれて、許し難い。そうでしょう?
 八つ当たり気味に愚痴るディークに、クラフトは例の飄々とした笑みをはいて、まあまあ、と適当な相づちを打つ。
 酔っぱらいに、まともな理屈は通じない。
「アレクシス君より、ディーク、君を選んだ方が、シアは楽に生きれるよね。君が隣にいれば、あの子はリーブル商会を引き継いでも、上手くやっていけるだろうし、君なら、あの子に余計な苦労させるようなこともないだろう」
 身内の贔屓目だけでなく、商会の長として公平な目線でみても、ディーク=ルーツは優秀な商人であり、商会の未来を託せる相手でもあり、また娘婿としても不足はなかった。
 もし、シアがディークに恋をしたとしても、一人娘の父親としてはかなり複雑ではあるが、クラフトは祝福しただろう。
 ディークならば、シアをどんな事からも守ろうとするだろうし、信頼できる。
 リーブル商会の長としても、自分や父・エドワードにも、劣らないだろうと思われた。
 それも、ひとつの選択であっただろうし、シアの気持ち次第では、十分にあり得た未来だったはずだ。
 でも、と父親の顔をして、クラフトは続ける。あの子は……。
「シアは、誰かの背中に、守られるんじゃなくて、一緒に歩きたい子だから」
 守られ、誰かに支えられて歩むよりも、例え、大変な道のりであろうとも、自分の足で、信じた者と手を繋いで歩きたい子なのだ。
 シアは。
 この、クラフト=リーブルの娘は。
 特別、要領がよいわけでも、ディークのような秀才でもない。
 努力家ではあるが、それだけだ。
 けれども、何度、苦難にぶつかっても、どんな辛い目に合おうとも、立ち上がる強さを持っている。
 前を向く、したたかなまでの強靭さを持っている。
 それは、母親のエステルが何よりも欲し、自分が持てなかったからこそ、娘にはそうあってくれたらと願ったものだった。だから、クラフトは――。
 亡き妻を想い、何年たとうとも褪せることのないそれに、クラフトはそっと目を伏せた。
面をあげると、「それで?」と話題を変える。
「それで、あの子の評価は、どうだい?」
 ディーク=ルーツという商人から見て、シア=リーブルの評価は如何に。
 少女がリーブル商会の名に値しない場合、追い落とすことも辞さぬ、とまで宣言していた青年である。
 父親としては、娘の味方をしてやりたいが、長の地位に立つ者としては、別である。ディークの答え次第では、厳粛に受け止め、しかるべき道を選ばねばなるまい。
 リーブル商会の発展の為ならば、大勢の商人と見習いたちを束ねる者として、肉親の情を優先し、身を切ることを躊躇ってはならないからだ。
 クラフトの問いかけに、それまで酔っぱらいの戯れ言としか思えぬことしか口にしていなかったディークは、ふと真顔になり、濃緑の瞳をすがめた。
 本来、そう酔ってもいなかったのだろう。
 一見、無茶苦茶なようでいて、実は深い計算の元に生きている男である。
 ディークは息を吐くと、「努力は認めますし、やる気もあると思いますが……」と前置きしたうえで、
「エドワードさんのように、黙っていても人がついてくるような、特別な才能をもっているわけじゃない。貴方、クラフトおじさんのように、先見の明があって、弁が立つわけでもない。でも……」と続け、不思議なんですけどね、とディークは唇を緩めた。
 でも。
「あの子の言葉で、人は動く」
 ディークの目から見て、シアはいざとなると、損得抜きで動くところがある。
 チャンレイの商人たちに、手を貸す義理はないにも関わらず、積み荷の捜索などという、面倒そうなことに首を突っ込むぐらいだ。他にも、思い当たるフシは多々ある。
 打算がないというのは、商人として、褒めるべきことではない。むしろ、欠点だ。
 それにも関わらず、シアが動くと、なぜか周りもその熱意につられて動いてしまう。
 チャンレイの積み荷の捜索に、船員や港の者たちを駆り出し、ディークやアレクシスを助けるために、チャンレイの商人たちをも動かした。
 ただの偶然かもしれない。本人は何も考えておらず、感情の赴くままかもしれない。けれども、その行動は、確かに何かを支え、動かしている。
 甘いかもしれないが、とディークは冗談を装いつつ、「今のところは、ギリギリ及第点ということにしておきましょう」との評価を下す。
 それを聞いたクラフトが、くつくつと口を押さえ、笑いをこらえるような表情をしていた。
 まったく……一体、誰に似たのやら、素直じゃない。
「おーい!ディークの坊主、こんなところで、クラフトの奴と酒のんでたのかよ。水臭ぇなあ!」
 その時、前触れもなく部屋の扉が開かれ、酒瓶をかかえたエドワードが流れ込んできた。
 既に一杯、やっていたのか、顔を赤らめ、鼻唄を口ずさみ、上機嫌だ。
 早く言えよ、水くせぇ、と鼻の頭をこすりながら、エドワードはとっておきの酒を高々と掲げた。
「明日、出立だってな。今宵は、気のすむまで飲もうや!」
 その心遣いを嬉しく思いつつ、ディークは「こうなると思った……」と、ワザとらしくため息をこぼす。
 最初から、シアの様子を見届けたら、長く滞在するつもりはなかった。
 王都のリーブル商会にいるのは居心地が良く、敬愛する人々も、気のおけない仲間も、友人と呼べる人々もいる。
 それでも、ディークは船に乗り、大陸から大陸へと赴く、根っからの渡り鳥なのだ。
 事の成り行き次第ではあったが、これも又、運命というやつだろう。
 やはり、自分はふらふらと、風のように生きるべき男らしい、とディークは思う。
 明日には船に乗り、また何処かでリーブル商会の益の為に、動くつもりだ。今度は、東か西か。だというのに。
「流石、父さん。気が利きますね、今夜は飲み明かしましょうか。ディークも、まだまだ飲めるだろう?」
 にこにこと爽やかな笑顔を向けてくるクラフトは、酔い潰されるであろうディークを庇う素振りもなく、完全に他人事である。
 明日、飲み過ぎて船に乗れるか危うい自分の姿を想像し、ディークはひっく、と頬をひきつらせた。
 どうやら、退路は塞がれたらしい。
「黙って出立するなんて、薄情な真似をするつもりは、最初からありませんでしたよ。ただ今生の別れでもあるまいし、大騒ぎするのも……」
「馬鹿かっ。そういうのが、水臭ぇんだよ!ディークよぉ!ちょっと飲ませたら、アルトの奴が吐いたぞ」
 ぼそぼそと言い訳じみたことを口にすると、ピシャリとエドワードに叱られて、ディークは、考えが至りませんで、と首をすくめた。
 幾つになっても、この偉大な商人を前にすると、己が小さな子供に戻ったようで、どうしても頭が上がらない。
 最も、酒瓶を大事そうに抱えて、調子っ外れな歌声を張り上げるエドワードの姿は、伝説の商人というより、単なる不良老人にしか見えないのだが。
 ディークが半ば呆れていると、エドワードの後ろから、のろのろとアルトが顔を出した。
 酔い潰れるということを知らない先代に、さんざん酒に付き合わされたのか、今にも吐きそうな青い顔をしている。
 ディークさあぁぁぁぁぁん……アルトの名を呼ぶ声には、怨嗟と逃がさぬとばかりの尋常ならざる気迫がこもっていた。
「酒ぐらい、付き合ってくださいよぉぉお。俺たちだけじゃ、大旦那さまのお相手は、到底、勤まりませんってば!」
 泣きの入ったそれには、ディークとて、嫌とは言えない。
 よくよく見れば、「そういうこった、わかったなら、付き合えよ!」と尊大に胸を張るエドワードの後ろでは、エルトとカルトがものの見事に酔い潰されて、生きる屍とかしている。
 ディークの肩をぽんと叩いて、クラフトが茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。
「皆、君が出ていくのが、どうしようもなく寂しいんだよ。そうでしょう、みんな?」
 クラフトの問いかけに、おう!と声が揃った。
 扉が開いて、商会の者たちが続々と部屋に入ってくると、おのおの酒だのつまみだのを片手に、わいわいと喧しくがなり立てる。
 皆、ディークとは旧知の仲間たちだ。
「薄情なこというなよ、ディークよう。お前がまた船に乗るっていうのに、うっかり、餞別も渡せねぇところだったじゃねぇか!」
「一緒に飲もうって約束、すっぽかす気かよ。おいおい冗談じゃねぇぞ!」
「とにかく、俺たちは愉快に酒が飲みたいんだ、ディーク!理由なんぞ、あとから探す!」
 口は悪いものの、皆、腹の底から笑っている。
 リーブル商会は、つまるところ、商人達の集まりだ。商売と金貨は、なにより大切、だが、それだけではない。
 エドワード=リーブルがいちから築き上げ、クラフト=リーブルが受け継いだそこは、気のいい仲間たちがいて、結束、揺らぐことのない家族だった。だからこそ、ディークは此処が好きだった。
 一ヶ所に留まることなく、旅してばかりの自分が、懐かしく、故郷のように思い、帰りたいと思う場所。リーブル商会というものを愛して、守りたいと強く願う。「皆……」
 らしくもなく、声を震わせそうになるディークに、豪快に笑って、エドワードは終わらない宴を宣言した。
「今夜は、朝まで飲むぞ、皆の衆――!お前ぇら、ディークより先に酔い潰れるなんて、醜態をさらすんじゃねぇぞ!わかってんな?」
「「「「当たり前でさぁ、大旦那さま!!!」」」
「飲むぞ!」
「「「お―――!!!」」」
「あの、ちょっと……お手柔らかに」
 尻込みする、今宵の主役、ディークをよそに、宴は大いに盛り上がり、夜は更けていくのだった。
「うー、頭が、頭が痛い……」
 どんちゃん騒ぎの翌朝、二日酔いの頭を抱えて、ディークは立ち上がる。
 窓から差し込む朝陽は清々しいながら、夜通し、どんちゃん騒ぎをした室内は酷いものだった。
 あちらこちらに酒瓶が散乱し、床や机の上で、ぐうぐう寝息を立てながら、大の字になっている者もいる。
 ぐっすり眠って、起きる気配もない。
 早々に酔い潰れたアルトなんぞ、顔に愉快すぎる落書きをされていた。不憫な。
 良い年した男どもが、まったく……秩序も何もあったものではない。
 やれやれと二日酔いの頭を押さえて、なんとか歩き出したディークの背中に、後ろから声がかかった。
 振り返ると、長椅子に寝転がったエドワードが、むにゃむにゃと寝言のような事を口にしている。
「いつでも戻ってこいよ。船にも港が、渡り鳥にも、止まり木は必要だ」
 ただの寝言とだからな、ごろりと照れ隠しに背を向けた先代に、ディークは「……はい」と、うなずいた。
 それで、十分だった。
「また戻ってきます。必ず」
 かかか、と背中で笑い声がした。
「わかってるよ。お前は、約束を守る男だ。ディーク」と。


 いざ出発しようという時、廊下のところで、ディークはリタとすれ違った。
掃除中だったのか、箒を手にしたメイドは、あら、と小首をかしげて、「お早いですね、もう出ていかれるのですの?」と、黒髪を揺らした。
 艶やかな髪には、ディークが贈ったムメイの簪が、しゃらりしゃらり、と可憐さをそえている。
 東国の血を引く彼女に、それはよく似合っていて、青年は目を細めた。
「まぁね。一応の目的は果たしたし、それなりに得たものはあったよ」
「それはそれは、貴方らしいというか、相変わらず、抜け目がないですわね」
 少々、言葉の端々に、トゲめいたものを感じなくもなかったが、微笑むリタの可憐さに免じて、ディークは許すことにした。
「え……」
 乙女の黒髪に触れると、スッと花の簪を抜き取り、朝、摘んだばかりの赤薔薇を飾る。
 そうして、ディークは満足そうに微笑いかけた。
「作り物の花より、君には、こちらの方が似合うね。リタ」
「……」
「そのうち、また帰ってくるよ」
「……相変わらず、気障すぎですわね」
 ひらりと手を振り、颯爽とした足取りで、遠ざかっていく青年の背中に、リタは声を張り上げた。
「お気をつけて。あまり、無茶はなさらないでくださいね!」
 声は、届いたやら、あるいは届かなかったやら……。
 本当に嵐みたいな男、と思いつつ、ついつい許してしまうのは、その人の纏う空気が、暗雲を吹き飛ばし、海を渡る風のようだからだろうか。
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