女王の商人

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  海賊と商人 8−3  

「――現状をいかが、お思いでいらっしゃいますか?陛下」
 アルゼンタール議会は、貴族、平民、聖職者、それぞれの身分より選出された代表。そして、統治者たる国王によって、動かされる。
 国王が主導で政治を動かすことこそないが、それらの意見に耳を傾け、議会の中心となっているのは、平民の立場を慮り、三身分の均衡を保つことに努め、名君と呼ばれた、先代国王への敬慕であろう。
 その王の娘であるエミーリア女王もまた、父と同じ路線を引き継いでいた。
「どのような小さな穴でも、船を沈めぬ、とは申せませぬ。国内の商人たちの訴えも、増えておりますがゆえ……」
 有力議員のひとりから、そう声をかけられた女王陛下は、思考するように、オリーブの瞳を細める。
 その胸の前で、ドレスと同じ薄紫の扇が、ゆるりと開かれた。
 王権の象徴たる、薔薇を彫刻した椅子に背を預け、やや褐色をおびた指は、真紅の肘掛けに置かれている。
 花にも似た、その唇がひらく。
 水を打ったように静まり返り、百以上もの椅子が並んだ議会の中、その奥の一段高い場所から、王の声が降る。

 
 今日の議会は、やや堂々巡りのきらいがあった。
 常に王を悩ませる、三身分による衝突は起きていないのだが、それぞれの主張を曲げないが為、喧々諤々、意見がいっこうにまとまらない。
 気が付けば、予定の時刻を、とうに過ぎようとしていた。
 ――かつて、周辺諸国から、≪麗しき西の覇者≫、そう、畏敬とまた羨望をもって讃えられた、アルゼンタール王国。
 この国が栄華を築いた理由のひとつには、最新の航海技術を持ち、海戦に強かったというのは無視できない。
 鮫と呼ばれた、海軍提督コルリッシュ。美貌の女海賊マリー、自ら海に乗り出した国王の末子……等々、伝説には事欠かない。
 その後、航海技術は飛躍的に進歩し、現在では、他大陸との交流をも活発に行われるようになった。
 最近、盛んな東国との貿易も、その一環である。
 異国からの輸入、輸出は、アルゼンタールに富を生み出し、新しい技術をもたらす、良いこと尽くめにも思えるが、そうそう、上手くいくことばかりはない。
 聖職者たちは、異国の宗教に、警戒心を解こうとせず、そうでなくとも、言語の違いから、問題を起こすケースも多々ある。
 国内は、リーブル商会の者たちが、上手く取り仕切っているとはいえ、他大陸との商人との衝突、軋轢、治安の悪化……その結果、年々、陳情書の類は増えつつある。
 現状をいかが、と議員が、女王陛下に物申したのも、その件だ。
「そなたらの意見、いちいち、もっとも……心配の件についても、また然り……他大陸との交易に置いて、我が国の威信が損なわれることなど、本来、あってはならない」
 艶ややかな紅唇から、凛とした声音が紡がれるのを、議会に集まった者たちは、神妙な面持ちで聞く。
 女王陛下のお言葉、一言一句、聞き逃さぬようにと。
 普段の茶目っ気はどこへやら、己だけに集中する議員たちの視線を、しごく自然に受け止め、朗々と喋るエミーリアは、揺るがぬ威厳を備えた、生まれながらの統治者のようだった。
 常よりも、厳めしげな口調で語り、ともすれば凍えた、侵し難い気品を纏った女王陛下に、議会に集まった各身分の代表者たちは、気圧されぬよう、表情を引き締めた。
 パチン、と扇が閉じられる。
「港周辺の警備を強化するように。これ以上の治安も乱れは、許さぬものと心得よ。あまりに、揉め事が続くようならば、異国の商人たちには、今よりも、重い制約を課すことにする……ただし、もし、我が国の者たちが、彼らを不当に貶めることがあらば、厳罰をもって処さねばならぬ」
 朗々と意見を述べた、若き女王は、それでどうだろうか、という風に、三身分の筆頭に立つ者たちを順繰りに見た。オリーブの瞳に見つめられた、それぞれの代表は、小さく頷き合い、「異存はございません」と頭を垂れる。
 エミーリアはすぃ、と視線を横にずらすと、「クラフト=リーブル、そなたにも、今まで以上の働きを期待する」と、平民議員の中心にいる男に声をかけた。亜麻色の髪の、柔和な印象の男は、「陛下のお心に叶いますよう、骨子粉砕いたします」と、誓う。
 女王はうなずくと、口元を緩め、ふわり、表情をやわらげた。
 そうすることで、近寄りがたい程に張りつめいた空気が解け、その笑みは、大輪の花を思わせる。赤い唇、なめらかな小麦色の肌は、匂い立つような艶美さながら、媚が欠片もなく、優美さだけが残るのは、やはり、王族の血がなせるわざだろう。
「……ということで、どうかしら?ガリヤ議員、至らない所があれば、助力をしてもらえると嬉しいわ」
 先ほどまで、険しい顔で問題点を訴えていた、壮年の議員も、親しみやすい口調で話しかけてきた女王陛下に、眉間に寄せていたシワが緩んだ。
 彼とて、いたずらに議論を長引かせたいわけではない。
 そして、エミーリアの返答は、現時点では妥当と思われるものであった。
 少なくとも、異論を唱えるだけのものはない。
「今の時点では、それでよろしいかと……いずれ、手を打たねばならぬかもしれませぬが」
「ええ、わかっているわ……」
 女王は議員に微笑みかけると、クスリッ、と扇の下で笑みをこぼし、茶目っ気たっぷりの声音で言う。
「近々、私の信頼する者を三人ほど、港に行かせるつもりなの。その際に、様子を見てこさせるつもりよ」
 それは、女王としてというより、エミーリアという個人の発言という意味合いが強かったので、ガリヤ議員は「なるほど」とうなずいた。
 言葉の意味するところを、正確に読み取ったクラフトは、陛下らしい、と心中で呟く。花めいた微笑ひとつ、目線ひとつすら、意味があるのは、王者の資質というべきだろう。
 表面上は柔和な笑みを浮かべつつも、あの娘には試練になるかもしれないな、と漠然とした思いを抱く。
 もっとも、議会が閉会するまで、そんなクラフトの変化に気づいた者は、誰一人としていなかったが。
 議長の小槌が議会の終了を告げ、多くの紳士と、それに埋もれるような女性議員たちは、それぞれ少数の輪を作りながら、解散していく。
「――陛下」
 議会の終了を見計らい、ゆったりとした足取りで、エミーリアに歩み寄ってきた者がいた。
 その人物を見た女王の顔に、あら、と親しげな笑みが宿る。
 五十に手が届くか、届かないか、若々しい笑顔と、隆々とした筋肉、鍛えられた体躯が、年齢を感じさせない偉丈夫である。それでいながら、武人特有の荒々しさはなく、その所作は、育ちの良さを感じさせるものであった。
 見上げる程の大男であっても、その穏やかな笑みが、威圧感を感じさせない。
 白と金を基調とした、目にも眩しい制服は、近衛騎士団のものだ。
 その右胸には、地位を示すべく、黄金の薔薇の意匠が、誇らしげに縫いこまれている。
「なにも団長自ら、迎えに来なくても良かったのに……私は、もう子供ではないのよ。シャーウッド」
 わざと拗ねたように言うエミーリアに、シャーウッド、と呼ばれた男は、目を和ませる。幼少時より、王女の護衛として仕えてきた彼にとって、まったくもって畏れ多いことながら、女王陛下から、砕けた態度を取られるのは慣れっこである。近衛騎士団の長・シャーウッド=ロア=ラッセルにとっては。
 自然、返す言葉も、優しいものになった。
「わかっておりますよ。けれども、私とて、偉そうに椅子にふんぞりかえってばかりでは、疲労がたまるのです……偶には、麗しき女王陛下のご尊顔を、拝謁したいというもの、いえ、今となっては、お転婆な王女様のお姿が、懐かしゅうございます」
 騎士団は、むさくるしい男ばかりですゆえ。
 おぉ嘆かわしい、とさも大仰な演技をする大男に、女王は「また、そのような戯言を……」と微笑い、オリーブの瞳を細める。
「いい加減になさってください、団長……陛下の御前で、戯れが過ぎます。新兵たちに稽古をつけてきた帰りなのだと、正直におっしゃるべきでしょう」
 近衛騎士団の長に、そう忠言をしたのは、同じく、白と金の制服に身を包んだ男だった。
 こちらは、三十路前といったところであろう。憂いを帯びた眼差しの、やや影のある美青年である。
 団長から半歩、離れたところで、キリッとした姿勢で佇む彼の胸には、銀糸の薔薇が咲いている。
「そう素直に言っては、つまらんだろうが。ゼン……そのようだから、お前は堅物としか呼ばれんのだぞ」
「堅物で、大いにけっこう。団長が真面目になってくだされば、私とて、このような小言を言いたいわけではありません」
 さっぱり反省の素振りがない上司に、ゼン、という名の、黒髪の騎士は渋面で額を押さえた。
 本来、そう暗い性格でもないのだが、楽天的かつ破天荒な団長の性格に、気苦労が絶えず、最近では王宮の女官たちから、「あの憂いをおびた眼差し、うっとりするわ……!」「きっと、この国の将来に、想いを馳せておられるのよ」などと、噂される始末である。
 そんな彼の苦労を慮り、エミーリアは「あまり、抱え込まないようにね。ゼン」と、労りの言葉をかけてくる。
 はははっ、陛下もすっかり、ご冗談が上手くなられましたなぁ、爽やかに笑う団長の後ろで、渋面の騎士は上司を睨みつつ「はっ」と、深く頭を垂れた。
「ところで、シャーウッド……この間の件は、どうかしら?考えてもらえた?」
 話がひと段落したところで、エミーリアは近衛騎士団の長である男に、そう尋ねた。
 それは、職務に関することであったので、シャーウッドもええ、と真面目な顔でうなずく。
「陛下のご推薦かつ、素性も確かとあらば、我らの方から門戸を拒む理由はございません。無論、他の団員の手前もございますし、入隊試験の成績いかんではありますが……なあ、ゼン」
 真面目な顔をしていれば、堂々たる近衛騎士の長である男の言葉に、傍に控えていた部下も言い添える。
「はい、今なら、次の入隊試験には間に合うかと思われます。名門・ハイライン伯爵家の子息とあらば、私も一度、手合せしてみたいものです」
 そう断言したゼンは、「なんと言いましても、王剣の誉れを持つ、名高き騎士の家系でございますから」と、口元に淡い笑みをはいた。
 実力、経験、立場、それに相応しい余裕と、好奇心が宿ったようなそれである。
「なるほど……つまりは、彼の青年の心次第というわけね」
 菫色の扇で口唇を隠し、含むような口調で言ったエミーリアの、深い叡智をたたえたオリーブの瞳は、何らかの思惑を孕んでいる様子が見て取れた。


 王城内に位置する、翡翠、琥珀の間と並んだ、紅珊瑚の間。
 女王の商人である少女は、そこで、相棒のアレクシスと……本人としては極めて不本意なことではあるが、ディークと共に、麗しの女王陛下の訪れを待っていた。
 陛下の執務が一区切りつくまでの時間を、大人しく待っていたシアだったが、ふいに目に飛び込んできた鮮やかな色彩に、思わず、目を見開いた。ついで、口から感嘆のため息がもれる。
 彼女の両隣に膝をついたアレクシスとディークも、一瞬、息を呑むような気配があった。
「―――ぁ」
 美しい、青。
 目を奪われずにはいられない、深い紺碧の色、全てを飲み込むが如きそれは、いくえにも重なる白いフリルと相まって、さながら波のようだった。
 群青のドレスに身を包んだエミーリアの胸元を飾るは、二連の大粒の真珠のネックレス。
 その形の良い耳朶で、ゆらゆらと波のひとかけのように揺らぐのは、アクアマリンの耳飾り。
 淡い褐色の肌に、群青が殊の外よく映え、結い上げられた金髪の下のほそりとした首筋が、なんとも艶めかしいラインを描く。
 青と白の調和が見事な、海を模した、涼やかな装いであった。
「なんて、綺麗……」
 シアの唇から、純粋な賛美な言葉が、紡がれる。
 女王陛下に対するには、いささか礼を失していたかもしれぬが、釘づけにされた彼女の視線が、それが世辞ではなく、無意識に、口からこぼれた本音であると教えてくれる。元より、心にもないことを言えるような性格ではない。
 それがわかっているからか、エミーリアも柳眉を寄せることはせず「ふふ、ありがとう。シア」と、鈴の音を鳴らすが如く、軽やかに笑うのみであった。
 麗しの女王陛下に微笑みかけられ、またもや、ぽぉ……と見惚れるシアの背中を、胡散臭いほどに良い笑顔をしたディークが、しっかりしろ、という風に軽く抓る。銀髪の少女は顔をひきつらせたが、その元凶である青年はといえば、どこ吹く風だ。
 そんな二人のやりとりに、アレクシスは漆黒の瞳にぬるい諦観を宿し、最早、何度目になるかのため息をついた。
 楚々とした女官たちの手によって、お茶の支度がなされると、エミーリアは芳醇なる香りのそれを一口、喉を潤すと、「今回の依頼なのだけど」と、本題を切り出す。
「貴方たちのうち、女海賊・マリー=コーランジュの名に、聞き覚えがある人はいるかしら?……シア?」
 尋ねながら、エミーリアはテーブルで円となった三人、シア、アレクシス、ディークを順繰りに見る。
 あごに手をあてたアレクシスは、しばし考え込むような素振りを見せた後、「残念ながら……申し訳ございません」と首を横に振る。
 シアは持ち上げていたカップをおろし、「女海賊・マリー……?」と小首をかしげた。青い瞳に、思い出そうとするような、懸命な色がよぎる。
 女海賊、どこかで聞いた事があるような……それも、確か、ずいぶんと幼かった日に。もしや……?
 まさかと思いながら、彼女が首を回すと、丁度、ディークがうなずいたところであった。
 紅茶の、濃い琥珀の水面に映り込む、商人の青年の横顔は、どこか愉しげだ。
 海や航海のこととなると、目を輝かせる辺りは昔と変わらず、シアは一瞬、幼き日に時が巻き戻ったような錯覚を覚える。
 流暢で、聞き取りやすい語り口は、在りし日の彼と重なるものであった。
「マリー=コーランジュといえば、劇や小説にもなっている、伝説の女海賊でしょう。黄金の髪と、海の瞳の美貌の女であったと……眉唾ものの話も多いですが、今なお、彼女ゆかりの土地では、絶大な人気を誇るという。投げナイフの名手で、その優雅さから、白鳥とも呼称されたとか……」
 今より、百年ほど前のこと。彼女が海軍に捕縛され、絞首刑にならなかったのは、その美貌や稀有な立場を、当時の国王が惜しんだのだという、突拍子もない俗説まで存在する。
 ……というのは、女王陛下を前にさすがに口には出来ず、ディークは言葉を切った。
 しかし、そんな彼の躊躇いは、お見通しなのであろう。
 リーブル家の血筋を感じさせる、亜麻色の髪の青年に、かくも優雅なる微笑を向け、エミーリアは「ええ、その通りよ。当時の国王のお気に入りだった、なんて俗説もある位、伝説には事欠かない人物であるわね」と、言葉尻を引き取った。
 ――女海賊・マリー。
 女が船乗りとなることは、禁忌とされた時代に、男装し、海賊の一団を率いたという美貌の女海賊は、その謎めいた生涯も相まって、海を生きる者たちの間では、知らぬ者は居ぬ程に高名である。
 民間の商船を襲った際、略奪、虐殺はしても、女子供に対しては手を出せなかったというのも、人気の一因ではあるのだろう。
 その生涯で幾度となく、異国の貿易船を襲い、乗組員たちを殺しては、金銀財宝を奪い取ったとされる。
 最後は、海賊同士のつまらぬ内輪揉めから、女の亡骸は海に捨てられ、鮫の餌にされたというが……それもまた、伝説の域を出ない。
「その女海賊が、今回のお役目と、何か関わりがあるのですか?」
 元来、どちらかといえば、寡黙な性質であるアレクシスは、それまでシア達によってなされる会話を、控え目に黙って聞いていたが、頃合いを見計らったように、そう問う。
 問われたエミーリアは、薄紫の扇を閉じると、ふふ、とまるで童女のような無邪気さで、ころころと喉を鳴らす。
 珍しい物好きな血が騒ぐのか、その双眸には、きらきらとした輝きが宿っていた。
「エメスディアという港があるでしょう?シア、貴方たち三人には、そこで“あるもの”を探してほしいの」
 いまいち話の流れが読めぬまま、アレクシスはエメスディアという地名を、頭の中で反復する。
 アルゼンタール王国の中でも、最大の規模を誇る港町であり、現在は他大陸との貿易の要として知られる。紺碧の海、良質な海産物、海の恩寵を受けたる都市であり、また近年は、祭りやら観光やらにも熱心だということだが、それ以上は詳しくは知らない。
 そもそも、森の近くで育ったアレクシスにとっては、海はやや馴染みが薄い。だが、少年時代から船に乗ってきたディークは元より、シアにとっても、リーブル商会の拠点の一つとして、馴染みある場所のようだった。
 三人三様、エメスディアがどうかしたのかという顔をしていたシア達に、エミーリアはあくまでも唇に優雅な微笑をはいたまま、さらりと信じがたい発言をする。
「そのエメスディアには、ひとつ伝説があってね。女海賊マリーが、敵から奪った財宝を、どこかに隠したという噂があるのよ」
 なんでも人伝に聞いた話だと、胡散臭い宝の地図とやらが、土産物や露天商で売られているらしいわね。まあ、ほとんどは根も葉もない出鱈目らしいけど……。
 笑顔で続けられた女王陛下のそれに、シアは「はあ……」と、何とも気のない返事をする。
 確かめるまでもなく、ほぼ全てが偽物というか、ガラクタであろうことは想像がついた。買う方とて、まさか、本気にしているわけではあるまい。
 その宝の地図とやらが、天地がひっくり返るぐらいの万が一で本物であれば、他人に売るはずもないではないか――。
 まあ、伝説の女海賊にあやかった、一種のお祭りのようなものなのであろう、とシアは夢も希望もロマンもない、だが、商人らしい現実的な判断を下す。――が、彼女が冷静でいられたのも、そこまでだった。
 畏れ多くも女王陛下が、シアたちの目を正面から見て、こう、のたまわれたものだから。
「というわけで、貴方たちには宝探しをしてもらおうと思って」
「――は?」
 シアはとっさに現実を受け入れられず、口をあんぐりと開け、目が点になった。
 もっとも、露骨に狼狽したのは、彼女だけであり、アレクシスとディークのふたりは、賢明にも沈黙を守る。
 女王陛下はあらら、聞こえなかったかしら、と微かに首をかしげ、笑顔のまま駄目押しをした。
「勿論、絶対に宝を見つけてきなさい、なんて無茶は言わないわ。そうね、眉唾物でもなんでも、宝の地図らしきものを持ち帰ってくれれば、それで十分よ」
 美貌かつ、聡明で知られる女王陛下ではあるが、時々、珍品コレクターの血が騒いで、突拍子もないことを言いだされることは、シアもよくわかっている。ただひとりの国王の嫡子として、幼少時から、多くの護衛やおつきの者なしに、城から出ることは一切、叶わなかったという立場もあるのだろう。
 エミーリアのそれは、見果てぬ海、外の世界への憧れと、開放的な港町の空気へと想いを馳せているようだった。
 自分の心のままに生きることは、生涯、ない。王族とは、君主とは、そういうものだ。
 そんな女王陛下の立場を思い、ようやく落ち着いてきたシアは、「お心に添えるかわかりませんが、探してまいります」と、その役目を引き受けた。
 宝の地図うんぬんはともかく、港町特有の空気が、シアは嫌いではなかったし、紺碧の海、銀髪をなびかぜる潮風、海鳥の鳴き声……遠い海原を、瞼の裏に思い描けば、心は弾む。
 なにより……これは衆目が認めるところであるが、天然の良港であるエメスディアの魚料理は、絶品なのである。
 ここは、少々、食い意地のはった少女にとっては、見逃せないところであった。
 (うふふふ、待っててね。ロブスター、貝、お魚さん……!ぜーんぶ、美味しく食べてあげるわ……!)
 じゅわじゅわと、海老の焼ける香ばしい匂いを想像し、じゅるり、舌舐めずりをしそうになったシアであったが、女王陛下の御前であると、かろうじて耐える。
 いけない、いけない、危うく、前代未聞の失態を犯すところだった!
「引き受けてくれて、良かったわ。貴方たちも、それでいい?」
 アレクシス?ディーク?と、重ねられた問いに、忠実な騎士は否やなどというはずもないが、ディークは「謹んで、拝命いたします」と、慇懃な口調で言い、女王陛下に意味ありげな眼差しを投げかける。
 宝探し、などという言葉に隠されていても、女王陛下の意図は明白だ。この時期に、エメスディアに――異国の商人たちが集う場所に、リーブル商会の、しかも、その中心に極めて近い場所にいる、シアやディークを送り込む、ということは、ただの気まぐれであるはずもない。
 もっとも、まったくないと言えないのも、女王陛下の女王陛下たる由縁であるが――。
 (何を、考えていらっしゃるやら……俗人たる我が身には、推し量れないな)
 紅い唇が動いて、ディーク、と彼の名を呼ぶ。
 視線をそちらへ向ければ、深いオリーブの瞳が、ひたと彼を見据えていた。
 決して鋭くはない、にもかかわらず、その眼差しの持つ力に、ディークは惹きこまれぬよう、努力せねばならなかった。
「貴方の働きには、期待しているわ」
 ――色々と、ね。
 彼の思惑など、すでに承知の上だと言わんばかりになされた、密やかな目配せに、亜麻色の髪の青年は、微苦笑を浮かべるよりない。相変わらず、聡い方だと感心すると同時に、一体、どこまでが女王陛下のお心の内なのかと、勘ぐらずにはいられなかった。
「それでは、気を付けて、いってらっしゃい。シア、特に貴女は、厄介なことに巻き込まれる性質のようだから」
 身に覚えがありすぎる、女王陛下のお言葉に、商人の娘は赤面しつつ、「はい」と首を縦に振る。自ら、事件の渦中に飛び込んだり、なにかと平穏からは遠いぐらいの自覚はある。
 三人が部屋を辞そうとした時、アレクシスの背に、呼び止める声がかかった。
 呼び止めたエミーリアは、少しだけ話がある、と騎士に言う。
 すぐに済む、という女王陛下のお言葉を信じ、護衛や女官と共に、アレクシスだけを部屋に残して、シアとディークは王宮の門前で待つことにする。
 話の内容が気になり、ちらり、と後ろを振り返りかけ、はしたない、と自らを叱咤し、彼女は靴音を高くする。
 アレクシスと向き合う、女王陛下の姿が、瞼の裏に残った。
「何で、またディー兄も一緒なの……?」
 沈んだ風なシアの表情に、ディークはおや、と意外そうに肩をすくめる。
「おや、嫌かい?こんなに頼りになる男も、そうそういるとは思えないのにねぇ」
「どの口が、そういうことを言うの!自分の胸に手をあててみなさいよ、積もり積もった数々の恨み、忘れてたまるかああああー!」
 胸倉を掴んで、ゆさゆさ揺さぶってやりたいが、あいにく身長も体格も足りない、とシアが悔しく思っているところへ、女王陛下との話を終えたらしい、アレクシスが戻ってくる。
「すまない、待たせた」
 騎士の青年はそう詫びの言葉を口にしたものの、どこかボーっとしており、心ここに非ずの態だった。
 彼らしくもないそれに、シアはふと不安にかられる。
「アレクシス、何かあったの?」
「……」
「ちょっと、他人の話を聞いてるの、アレクシスってば……!」
 再度、呼びかけると、黒髪の青年はようやく、その目をシアへと向ける。
 すまん、と申し訳なさげに言ったものの、その心には別のものが住んでいるようで、その噛み合わなさに、彼女はちくり、と胸が痛むのを感じた。
「何でもない。少し、考え事をしていただけだ」
 アレクシスの声も表情も、穏やかなものであったけど、他者の介入を拒むような頑なさに、シアは少々、釈然としないものを覚えたのだった。
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