女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  海賊と商人 8−6  

 カタッ、タタタ。スプリングが軋む座席に、シアは窓の外にやっていた視線を、馬車内へと戻した。
 房飾りのついたクッションに背を預け、不躾にならないように注意しながら、ちらちら、と同乗する男ふたりの様子をうかがう。
 興味のないフリを装いながらも、その青い瞳には、不安と勇気がない混ぜになったような色がある。
 エミーリア女王陛下のご依頼で、海賊の伝説が残る港町・エメスディアへと、シア、アレクシス、ディークの三人が向かうことになったのは、ほんの数日前のことだ。
 滞りなく旅支度をすませ、相棒であるアレクシスと共に馬車に乗り込んだのはいいのだが、魔王とも恐れるディークの存在と、その不自然なまでの静けさが、シアを少々、憂鬱にしていた。
 彼女を真ん中に挟んで、両側の座席に腰をおろしたアレクシスとディークは、言葉を交わすどころか、先ほどから、まともに目を合わせようともしない。
 もし、それが互いを意識してのものなら、この青年たちの仲が、あまり良好でないのを知るシアは、しょうがない、と納得しただろう。――アレクシスはともかく、ディークは他人を味方に引き込むのを得手とする反面、敵を作るのも天下一品であるが故に。
 しかし、実際は、違うようにも思える。
 アレクシスとディークの間に流れる空気は、今、決してトゲトゲしいものではない。殊更に歩み寄ろうともせずとも、この場に共にいることを、無言のうちに受け入れているような。例えうるなら、嵐の前の静寂のようだ。
 そこまで考えて、銀髪の少女は、かすかに眉を寄せる。
 ――うまく言えないのだが、何かが変わった気がするのだ。
 やや目を伏せ、思慮深げな表情で、流れる景色を見ているアレクシスの方ではなく、窓枠に肘をつき、ゆるく口元をひらいたディークの方が、だ。穏やかな、だが、食えない微笑はいつもと同じ。されど、纏う何がか、決定的に異なる。鷹揚な態度の裏にひそむ、その鋭さに、思わず、気圧されそうになる。もっとも、そう感じるのは彼女だけで、ディー兄の方は何も意識してないのかもしれないが。
 毛を逆立てた猫のよう、警戒心バリバリなシアの視線に気づいてか、ディークが濃緑の目でこちらを見る。
 エドワード祖父さんによく似た、吸い込まれそうな、深い色。む……っ、と少女の眉間に皺が寄る前に、一瞬早く、男の指先がその額をピンッと軽くはじいた。
「のおおぉぉっー!」
 地味にダメージが大きいそれに、シアは額を押さえて、転げまわる。
 油断する方が悪い、とでも言いたげな、この仕打ち!あんまりだ!
「そう、じろじろ、男を見るもんじゃないよ。いくら僕が良い男だからって、照れてしまうな」
 さらっと言い、唇に笑みをはくディークに、シアは本気の殺意を覚えた。
 この魔王がぁぁ、と心中で百万回は罵倒しつつ、何してくれるのよ、と猛然と抗議する。
「……っ!なら、口で言いなさいよ、ディー兄!口で!」
「いや、そう思ったんだけど、つい指が勝手に動いてね……ごめん、ごめん」
 えらく軽い謝罪に加えて、まあ、これも親しみというか、ひとつの愛情表現さ、などとうそぶかれては、彼女の中で、一気に復讐の念が膨れ上がったのは、言うまでもない。
 そんなの理解したくもないわ!と吠えたシアに、つれないなぁ、と苦笑するディークの顔からは、一体、どこまでが冗談なのか、図ることが出来ない。
 シアの混乱ぶりを見越してか、指通りのよいそれ、流れる銀のひとふさを手に絡めると、亜麻色の髪の青年は優しく笑む。
「いくら、僕が相手だからといって、あんまり油断するものではないよ。男は、みな狼なんだから、さ」
「な、な、な……」
 怒りと恥ずかしさで、真っ赤になった少女の耳に、囁きかける男の声は、いつになく艶めいており、身の危険を感じたシアはつつつ、と後ずさり、距離を取った。
 街道を走る、馬車の中のこと、それも限界はあったけれど。
 おやや残念、と名残惜しげに髪から手を放したディークを、シアはくわっと眦を吊り上げて、睨みつける。――この男は、昔っから、自分をからかうことを生き甲斐としているのだ!
「ディー兄の、ディー兄の、この根性悪……っ!」
「くく、誤解は、甘んじて受けようか」
 あくまで飄々と応じるディークへの不満はあれど、シアにはもうひとつ、気がかりなことがあった。
 逆側へと向き直ると、腕組みしたアレクシスは、周囲の喧騒など耳に入っていないように、見るともなしに外の景色を眺め、穏やかな沈黙を貫く。
 切れ長の漆黒の双眸と、きっ、と結ばれた唇が、なんともいえず凛々しい。
 その端整な横顔に、我知らず、ちょっぴり鼓動を跳ねさせながら、シアは、
「アレクシス、ねぇ、ボーっとしてるみたいだけど……大丈夫?」
と、遠慮がちに声をかける。
 その呼びかけに、アレクシスは虚を突かれたように、目を瞬かせる。だが、心配そうに己を仰ぎ見てくる、少女の眼差しに気づいてだろう。
 彼は彼女を安心させるように、平気だ、と口元をやわらげた。
「すまない……少し、余所事に気を取られていてな。話を聞いていなくて、悪かった」
 自分の思考に浸っていたことに、心底、申し訳なさげな顔をするアレクシスに、シアはふるふると首を横に振る。が、その隣のディークはといえば、人の好さげな笑みを浮かべて、「君ってさあ、物憂げとかなんとか言われる割に、実際は唯、ボーっとしているだけのこと多いでしょう?」と、抉るような嫌味を言う。
 そんな嫌味な青年の靴を、シアはさっきの仕返しとばかりに、こそりと踏もうとした。が、寸前で、その気配を察して、素早く避けられる。――ホント、可愛げないったら、ない!
 目の前の攻防はともかく、すまない、と繰り返したアレクシスは、あわく苦笑し、自らの至らなさを恥じた。
 母からの手紙、父上との約束、行方知れずの聖剣のこと、それらに心を囚われているのは事実であるが、今は畏れ多くも、女王陛下の勅命の最中である。
 命を賭して、それに当たらねば、主君への非礼にあたり、騎士失格、ひいては貴族失格というものだ。
 宝探し、などという児戯じみた依頼であっても、あの英明なるエミーリア陛下のこと、その裏には深いお考えが秘められているのだろうと、騎士は確信していた。
 声音で、心配ないと告げたつもりであったが、向き合う、シアの表情は晴れない。憂うように伏せられた睫毛が、儚い容貌を、よりいっそう儚げに見せる。
 ぎゅっ、と彼の袖を掴む手も、ほそりとして、それでいて力強く……。
 驚き、軽く息を呑んだアレクシスが、目を見開くと、いつになく真剣な顔をした少女と目が合った。心配ない、という風に、自信ありげに笑い、シアは「大丈夫よ」と言い切る。
 触れれば壊れそうな、繊細な雰囲気を纏いながら、その瞳はどこまでも力強い。
「シア……」
 事情をわかっているのか謎だが、励ますような笑みを、一途さをぶつけてくる銀髪の少女に、アレクシスは目を細める。
 海の青にも似たそれから、目を逸らせない。
 どこか甘い空気に照れたように、シアは任せておいて、と胸を叩く。
「ディー兄がなんか意地悪なことを言ってきても、しょーもない嫌がらせをしてきても、あたしがアレクシスを守るから、だから、心配しなくてもいいの!」
 盛大な勘違いに、泣けばいいやら、笑えばいいやら、アレクシスが迷っている間に、上から天の声もとい、ディークの容赦ない制裁が降ってくる。
「はいはい。いい加減、馬鹿いってないで、お役目の下調べはちゃんと済んでいるのかな?」
 言葉と同時に、ディークは笑みを浮かべたまま、手にした分厚い資料の山を、どさどさどさっとシアの背中にのせる。華奢な背には、負担過ぎるそれに少女の身体がのわわ、とバランスを崩した。ほら、これもと駄目押しのように、重ねられた地図の山々に、「ふぎゃ……!」と悲鳴が上がる。
「シア、おい、平気か……?」
 資料だの地図の山だのに埋もれ、潰された蛙のように、座席に突っ伏した彼女に、アレクシスが慌てて、助けの手を差し伸べる。
 お、重い……と悲痛な声を上げる銀髪の少女の横では、涼しい顔をしたディークが、意気揚々とエメスディアの地図を広げていた。
 アルゼンタールを代表する港、海神の加護を意味する――エメスディア。
 そして、伝説の女海賊マリー・コーランジュを筆頭に、海賊とも切り離せない縁を持つ、その場所。
 海賊の伝説が色濃く残る港へ赴くのに、生来、冒険好きな血が騒ぐのか、地図を手にする青年の横顔は、どこか愉しげだ。
 アレクシスに助け起こしてもらったシアは、そんなディークを、どこか不思議そうな面持ちで見つめる。とはいえ、こちらもまた生来の負けず嫌いゆえか、言われずとも、と大きくうなずいた。
「エメスディアは、貿易、リーブル商会の重要拠点のひとつですもの。地理、歴史、治安、町の経済状況なんかは、当然、調べてあるわ。もっとも、海賊関係は、眉唾物の伝説が大半だったけど……」
 ふぅむ、と顎をしゃくる仕草で、ディークはシアに話に続きを促す。
 少女もまた表情を引き締め、真剣な声音で応じた。
「最近のことを言うなら、異国船の出入りが、ここ数年、倍増したおかげで些細なトラブルが絶えないみたいね……自国の船員と、他大陸の船乗りでは言語も違うし、つまらないことでも言い争いや乱闘になると噂よ。うちの世話役も、頭を痛めているらしいわ……多分、ディー兄は、あたしよりも、詳しいでしょう」
 いくら彼女が、リーブル商会の初代の孫娘であり、後継者として教育を受けてきたとは言えども、現時点で、ディークとの経験値や知識の差は、悔しいが、うなずかざるを得ない。
 まだ殆ど、アルゼンタール国外に、出たこともないシアと、東国との繋ぎを成功させ、広い世界で商売をしてきた、この兄貴分ともいうべき青年とでは。単なる、年齢上の開きがあるのだ。
 尊敬と反発と、ひどく複雑そうな表情の少女に、幼い頃から彼女を見てきた青年は、クスッ、と何もかも見通したような顔つきで、口元をゆるめた。
「六十点、というところかな。今の時点なら、ぎりぎり及第点をあげるよ」
「……その言い方、まーったく嬉しくないわ」
「悔しかったら、僕を感心させる位の事を、成し遂げるんだね」
 そうでなければ、尻尾を巻いて逃げるのかい?と言いたげな目を向けられて、シアは無言のまま、「負けるものですか」と真正面から、その視線を受け止め、睨み返す。その濃緑の瞳は深くて、底が見えない。
 シアには、ディークが考えていることが、よくわからない。
 厳しいことを言うかと思えば、助けの手を差し伸べ、けれども、甘やかす気はないと言い切る。アレクシスに嫌味を言ったと思えば、自分に冗談のような告白をしてきたり、そうかと思えば、あからさまな挑発をぶつけてきたり……何がしたいのか、サッパリだ。
 唯一つ、言えるのは、シアはここで退くことを、絶対に良しとしないということ。
 その想いを胸に、彼女は顔を上げ、凛と正面を見据える。――自分は、女王陛下の商人なのだから。
 ディークは、面白い、という風に口角を上げた。
 商人同士の会話の邪魔をしないように、気を使ってか、黙っていたアレクシスだったが、ふいに唇を開いた。
「……海が見えるな」
「え……もう着いたのっ!」
 彼の声に、シアが弾かれたように、窓側に身を乗り出す。
 走る馬車の中から、緑の木々を超えて、視界一面に広がるは、――紺碧の青、そして、風を受ける帆の白さ。
 大小さまざまな船が、波しぶきをあげて、海面をすべりゆく。海にも劣らぬ青い空、さえぎるもののない陽光が、寄せては返す波間に、きらりきらりと虹のような光の粒を振りまく。
 羽を大きく広げた海鳥たちが、雲を切り、列をなして飛びゆく。窓越しに、風を感じることが出来ないことを、彼女は残念に思う。潮風を背に受け、あの海に走り寄ったら、どれほど気持ちいいだろうか。
「ここが――エメスディアか」
 馬車の旅を終え、ようやく到着した目的地に、アレクシスは感慨深げに言う。
 森の傍で生まれ育ち、齢十八になるまで、海とは縁の薄い生活を送ってきたせいか、その声は心なしか弾んでいる。
 一方、赤子のころから海のそばで過ごしてきたディークは、ちらっと海に視線を向けると、くつろいだように腕を伸ばし、上着を肩にかけ、馬車を降りた。
 シアはといえば、御者のロベルトが扉を開けるが早いか、青年たちの制止の声も聞かず、初めて海を目にした子供のような顔で、たんたんたんと足早に馬車の段差を飛び越える。
 淑女らしからぬ所作で、淡い黄色のドレスの裾がひるがえるのを、アレクシスとディークは顔を見合わせ、一時、休戦とばかりに、小さく噴出すると、「遅い、早くー」と不服そうに手を振る少女の背中を、歩調を合わせて追った。
 紺碧の青に、海風にそよぐ、銀髪が目に眩しく――。
 かくして、彼女と彼ら、女王陛下の命を託された三人は、港、エメスディアの中心へと歩を進めたのだった。


 アルゼンタール屈指の規模を誇る港であり、現在は、東西交易の要としても、その名を諸国に轟かせる、エメスディア。
 船乗りはもちろん、遠く異国からやってきた商人たちや、出迎えに来た人々で、今日も船着き場はごった返し、ワイワイがやがや、信じられぬほどのにぎわいを見せている。
 えっちらおっちら、木箱をかつぐ少年とすれ違ったと思えば、数人がかりで船から降ろされた鉄製の檻……檻の中で、すくっと立ち、獰猛な姿をさらしているのは、西から運ばれた虎だろうか?見慣れぬ絹の服を着ているのは、東国ムメイの一団かもしれない。ターバンを巻いた子供が、甲板を走っていく。
 目にするものが、何もかも初めてなアレクシスは当然としても、久方ぶりに訪れたそこの熱気に、シアもまた圧倒される。
 ふわあ、と口を大きく開け、どんぐり眼でついつい周囲を見回してしまうのは、ご愛嬌というものだ。普段、賑わいでは劣らぬ王都で暮らしていても、ここはまた東西の人々が入り乱れ、さながら別世界のようだった。
 日頃、落ち着いた物腰の騎士でさえ、好奇心がうずくらしく、船から降ろされる積荷の数々に、興味深げな眼差しを注いでいる。
 いつもと変わらぬのは、唯一人、ディークだけで、樽に腰かけ、紫煙をくゆらす老人と、「お若いの、調子はどうだい?」「まあまあだね」などと、違う言語で軽口を叩きあう。
 港には、大小さまざま、国籍も異なる船が停泊しており、その優美な姿にシアは息を呑んだ。胸を逸らし、思いっきり、見上げてもなお全てを見ることは叶わない。
 船首に竜を飾ったあの船は、西のチャンレイのものだろうか。とんでもなく大きい。
 いずれも威風堂々たる、巨大な帆船に圧倒される。
「わあ……」
 再度、大海原に出るまでの束の間の休息、イカリをおろした船を、シアは半ば陶然と見つめていた。
 エメスディアのような港を訪れるのは、初めてではないにしろ、この光景は何度見ても、感嘆せずにはいられない。
 海の匂いを運ぶ風が、銀髪をあそばせる。
 立ち尽くした彼女の横を、浅黒い肌の船乗りが通り過ぎ、肩がぶつかりそうになる。思わず、よろめきかけたシアに、いち早くそれに気づいたアレクシスが、さっと手を差し伸べ、つんのめって転ぶという悲劇を防いだ。
 さりげなく、自分の側に引き寄せられて、シアは「あっ……」と声をもらし、露骨に顔を赤らめた。
 恥ずかしいやら、嬉しいやら、照れくさいやらで、まともにアレクシスと目を合わせられない。背にあてられた青年の手の、自分とは違う逞しさに、心臓がばくばくと早鐘を打つ。
 対する、黒髪の青年はといえば、少女の変化に気づいているのかいないのか、大丈夫だったか、と気遣わしげに問う。一見、寡黙で、とっつきにくそうに見えるアレクシスだが、実際は、とても情が深い。その目の奥に宿る優しい光に、シアは卑怯だ、と胸中、やつあたりめいた言を吐く。
 こんな目をするから、どうしたって、惹かれずにいられないのだと。
 色白の頬を、ゆで蛸のように真っ赤にして、シアはもごもごと彼に礼を言った。
「あ、ありがとう……ごめんなさい」
「いや……怪我をせず、安心した」
 アレクシスは、貴族の子息らしい礼儀正しさで応じると、少女の身体を支えていた手を離す。その手に、庇う以上の他意がないことは明白で、その紳士ぶりを好ましく思いつつも、自分とアレクシスとの距離が開くことを、少女は名残惜しく思う。
 半歩の距離を取る青年の背を、シアは無意識のうちに目で追った。寂しい、とも違う。例えて言うなら、いとしい。
 視線を感じてか、アレクシスが振り返った。――シア。声もなく、喉が動く。
「……っ」
 開きかけた少女の唇は、ディークが「さて、そろそろ、この周辺を見て回ろうか」と促したことで、幻のものになった。
 シアはこくん、と首を縦に振ると、ちらりとアレクシスの方に目を向け、亜麻色の髪の青年の後ろ姿を追いかける。
 アレクシスは刹那、顔を伏せ、ついで額に手をかざし、太陽の眩しさに目をすがめながら、帆船を仰ぎ見る。そして、先を行くディークとシアに続いた。
 船付き場も、すさまじい熱気に満ちていたものだが、そこより少し歩いて、船乗りや商人たちがたむろする場所を通ると、喧騒はさらに増し、いっそ、やかましい程だった。
 ようやく陸地についたという解放感ゆえか、酒場からはまっ昼間だというのに、ガーハハハッと羽目を外した笑い声が響き渡り、麦酒のジョッキを打ち合わせる音がする。魚のおこぼれを狙ってか、よく肥えた猫が、にゃあ、にゃあ、と老人の足元にすり寄り、リュート弾きの老人が目を細め、その喉を撫でてやる。
 そんな港特有の賑わいだけでなく、さすがエメスディアというべきか、土産物屋には高々と海賊旗がかかげられ、酒場の看板は、伝説の女海賊にちなんでか、『マリー・コーランジュ』となっている。
 窓越しに覗き見れば、店主一同、海賊の扮装までする凝りようだ。
 そうかと思えば、露天商の中には、怪しげな硬貨を並べ立て、これが海賊の沈没船から引き揚げたものだと、さも真実のように語る者もいる。
 宝の地図などと語り、古そうな羊皮紙を売りさばいているのは、十中八九ペテンであろうが、開放的な土地柄ゆえか、目くじらを立てるものはいない。
 小説や、演劇にもなり、絶大な人気を誇る女海賊・マリー・コーランジュにしても、公には断罪すべお尋ね者であるのだが、それを堂々と誇るあたりが、豪快で知られるエメスディアっ子の気概であるのだろう。
 見るもの触れるもの、何もかも物珍しく、いちいち立ち止まるアレクシスとは対照的に、ディークはといえば、生まれ故郷に帰ってきたような、そんな空気を醸し出している。
 商人とはいえ、本質的には海に属する男だからだろう。そんなディー兄の姿に、シアは都に居た時よりも、生き生きしているようだと思う。
 以前と変わりないエメスディアの姿を確認しつつ、さらりと亜麻色の髪をかきあげた青年は、女王陛下より託されたお役目を忘れてはいないようだった。
「それで、どうする?シア……と、騎士殿」
 何のことだと仰向いた少女に、ディークはやれやれ、と小さく肩をすくめた。
「女王陛下の、ご依頼の件さ。宝探し……だっけ?どうにか、珍しいものを手に入れる必要があるんだろう」
 そう喋りながらも、ディークはシアの反応をうかがう。
 彼は、女王陛下の意図するところを、既にうすうす察して、その目的が単なる冒険心に留まらぬことを、気づいていた。
 エミーリア陛下の珍品コレクターぶりは、言わずとも知られたところだが、この時期に、リーブル商会の人間に直々に声をかけ、エメスディアに行けと命じるとは、異例のことだ。
 貿易と、それに伴う利権、およびリスクを巡り、議会が揺れているというのは、彼の耳にも入っている。
 であればこそ……シアが一体、どこまで意識しているか謎だが、裏を読んでしかるべきである。
 一瞬、ぽかんと口をあけるあたり、彼女に自覚があるのか疑わしいけども。
「あ、う、うん」
 微妙に協力的なディークに、一体、どういうつもりだと訝しげな眼を向けつつも、シアはその通りだと、首を縦に振る。
 相変わらずな反応に、亜麻色の髪の青年は、はーっと嘆息し、僕だって、リーブル商会の商人だよとボヤいた。
 シアはわかっているわよ、と間髪入れずに応じ、至る所に古の海賊の痕跡を残す、港の景色を見回す。
 そして、観光客相手の土産物屋と並んで、海の底から引き揚げたとのうたい文句を口にする、さる露天商に目を留めた。
「んー、あの店……」
 沈没船から、かき集めたという口上、敷き布の上に並べられているのは、とうの昔に滅びた国の硬貨、海藻のこびりついた短剣、腕の取れた女神の像、いかにも胡散臭いものばかり。
 海賊のお宝とうたってはいても、実際の所、土産物屋の安物と価値は変わるまい。
 ちらりと見た感じ、シアの審美眼に叶うものは、ひとつも無かった。
 けれども、普段ならば、決して、近寄るまい、その店にふらりと身を寄せたのは、やはり、このエメスディアの空気がなせる業だろう。
 もしも、女王陛下の意図が本物を求めてならば、近づくまい。されど、陛下はこの自由な雰囲気こそを、感じたいと願っておられるのだ。――自由になれぬわが身を嘆くでなく、シアたちを代わりとして。
 髪を撫でる潮風、どこか普段と違う冒険心を掻き立ててくるそれに、ゆるり目を細め、シアはその露天商に歩み寄った。
 三十半ばほどだろうか、調子のよい口上を述べていた店主は、にかっと破顔した。
「おやおや、うちの店に何か御用で?美しいお嬢さん……ほうほう、その短剣を目に取られるとは、お目が高いっ。それは、伝説の女海賊・マリーに倒された、隻眼の黒鷹が愛用していたものですよ。五百レアンでは安すぎる位の、値打ちものです。いや、でもお嬢さんには、こちらの鏡の方がお似合いかと」
 鼻の頭に浅い傷をつけた店主は、そう上機嫌でまくしたてた。
 旅に支障が出ない程度の軽装とはいえ、シアの纏うドレスは仕立ての良さを感じさせる。
 後ろに控えた、青年ふたりも同様だ。
 派手ではなくとも、その身なりだけで上客と判断するには十分で、店主の声が弾んだものになるのに大した時間は必要なかった。
 商人と対するのに、胸の銀貨をさりげなく隠していたせいか、まだいとけなさを残した、銀髪の少女が己と同業であるとは、店主はついぞ気づかぬようだった。
「お気に召されませんか、お嬢さん。ならば、こちらは……」
「そっちの説明は、もういいわ。それよりも……これは、何?」
 少女が手に取ったのは、いかにも古めかしい羊皮紙の束。途端、よいカモを見つけたと、舌舐めずりせんばかりだった店主の顔が、あからさまに曇る。
 ああ、と渋い声で言うと、さも必要のない、というように、羊皮紙の束をはねのけた。
「大したものじゃありませんよ。この辺りの洞窟の地図です」
 一見、ただの紙切れのように見えて、実際の所、好奇心旺盛な客の目を引くそれに、店主はそれなりの期待をかけていた。
 それを、銅貨一枚などという、屑同然の値段で、こんな小娘に持っていかれたくはない。
 後ろ暗いそれを見通したように、シアはにこっと笑うと、「それ、頂くわ」と明瞭な声で言い切る。
 花めいた微笑に、目を奪われていた店主は、慌てて、
「どれでしょう。こちらの短剣、それとも、この首飾り……」
と、わざとらしい程に、大仰なしぐさで喋る。
 シアは、ふ、と浅く息を吐くと、「いいえ、そのどれでもないわ……あたしが欲しいのは、その“地図”よ」と、歌うような声で言う。
 そうして、店主があっけにとられている間に、かさついた手のひらに銅貨をのせると、なんとも鮮やかに去っていく。その歩みに、迷いはない。
 まさか買うとは、と瞠目したアレクシスと、くつくつと喉を鳴らしたディークが、それに続いた。
 自分の半分ほどの小娘に、してやられたのだと店主が自覚した時には、すでに三人の後ろ姿は見えなくなっていた。
「くそっ」
 鼻に傷をもつ男は、商売に必須に愛想をかなぐり捨てて、口汚くののしる。
 そんな店主の肩を、とんとんと叩く者がいた。
 逆光で、その顔は見えない。ただ薄く笑っているようだった。
 店主の男が、振り返る。
 思わず、目を見開き、ついで息を呑んだ。
「アンタは……」
 その影は、土と草、薔薇の匂いをまとっていた。


 場所は代わり、『マリー・コーランジュ』。
 シア、アレクシス、ディークの三人は、食べ損ねた朝食とランチを兼ねて、エメスディア自慢の海の幸に舌鼓を打っていた。
 繁盛しているのか、店の中はたいそう混み合っている。
 海賊風の装いをした店員たちが、麦酒のジョッキを片手に、テーブルとテーブルの間を、魚のように泳ぎ回り、エメスディア名物・大皿に盛られた魚料理の数々が、ひっきりなしに運ばれる。
 シアもまた例外ではなく、エメスディア名物のひとつ、大ロブスターを頬張っていた。
 フォークで切り分けた、ぷりぷりの白い身を、一口。
 溶かしバターのシンプルな味付けが、絶妙なハーモニーをかもしだす。
 はふはふ。――ああ、この味、たまらない。幸せ……っ!
 とろんと蕩けそうな目をした彼女の横では、ディークが軽い口当たりの酒を傾け、アレクシスは黙々と自分の顔ほどある巨大魚のソテーを片付けていく。
「それで、どうするのさ?シア」
 絶品の魚料理に、魂を持って行かれそうになる少女を、ディークが現実へと引き戻した。
 ぐい、と豪快にグラスを空にし、彼はいささか意地の悪い声音で言う。
「さっき買った地図、役に立つだなんて、本気で思ってやしないだろうね?」
 シアは、まさか、と瞬時に切り捨てた。
 ああいう類の男が、こちらを欺こうとしないわけがない。
「洞窟の地図は、本物かもしれないけど、役に立つなんて信じてないわ。唯、ああいうのに、騙しの小道具はない方がいいの。さっきのは、あんまりこっちを甘く見てるから、お返ししなきゃって思っただけ」
「おお、怖い、怖い……シア、君もやっぱり、あのエドワード=リーブルの血筋だねぇ」
 揶揄めいた言い回しをしながらも、ディークはどこか満足気だった。
 安いものを高く見せるのは、商人の腕であるが、最初から騙し、相手を出し抜こうとするのは、単なる三流である。
 いやしくもリーブルの名を名乗るなら、あの程度の小物、鼻先であしらってもらわねば、困るのだ。
「そうだったのか……俺は、てっきり、急にあの地図が欲しくなったものとばかり……」
 今になって、ようやく、シアの意図に気づいたアレクシスは、なるほどな、と感心したように言う。
 合点がいったと、二度、三度、首を縦に振った。
 君ねえ……と、ディークがアイタタと、額を押さえた。天然にも程がある。
「まあ、でも地図だけは使えるかもしれないわよ。その前にもう一度、港の辺りを歩いてみる?」
 もぐっ、とロブスターの最後の一口、名残惜しげに飲み込んで、シアの提案は、男二人に、応、との返答を得た。
「―――ちっ、ギャアギャア騒ぐな!ここに盗人なんかいねぇって、何度も説明してるだろうが!」
 苛立ったような怒声が、空気をふるわす。
「ソンナ……困る。タイセツな荷、ないとワタシたち、タイヘンなことになる。探して、カエシテ」
 焦った声で応じるのは、痩せた男だ。
 たどたどしいそれには、異国の鈍りがある。
 その口調のみならず、黄味がかった肌や、竜の刺繍が施された、引きずるような極彩色の衣服は、この国の民でないと容易に知れた。
 東国ムメイの民と似ているが、ちょっと違う。大方、チャンレイあたりの出身だろう。
「……なに、何があったの?」
 再度、船着き場まで戻ってきたシアは、不思議そうに首をかしげる。
 彼女の目の前では、明らかに異国の民とわかる商人の一行、そして、この国の船員の男が激しく言葉を交わしていた。
 遠い国からやってきた商人たちは、途方に暮れた様子で、顔を見合わせている。その顔は一様に、苦悩に満ちていた。
 一方、言語の違い故、かみ合わない会話に耐えていた船員の男は、埒のあかない会話に業を煮やしたように、
「はん、文句があるなら、自分たちで探せよ。俺らは、盗んでなんかいねぇからな!」
と、吐き捨てた。
 異国の商人、そのリーダー格であろう痩せた男は、泣きそうな表情で、「サガシテ、タスケテ、オネガイ」と船員にすがりつかんばかりだった。
 ひどく困っている風だったが、船員も周囲の反応も芳しいものではなかった。面倒、という空気が透けて見える。
 ここ最近、異国の商人たちと自国の間に、さまざまな利権をめぐり、亀裂が生じていることも、それに輪をかけているだろう。
 それを知っているディークも、あえて動こうとは思わない。アレクシスもまた、同情の目を向けつつも、行動を迷った。が、無謀というか、勇敢というか、そんな空気を歯牙にもかけない少女がいた。
「ねえ」
 コツッと、靴が一歩、前に出た。
 荒事めいた空気に、臆するところがないような青い瞳が、周囲の野次馬たちに目を引きつける。
 舞台に上がる役者のように、少女は堂々と笑ってみせた。そして、今にも倒れそうな異国の商人に、自ら話しかける。
「泣く前に、事情を教えてもらえない?じゃなきゃ、どうにもならないわ」
 まずは落ち着きなさい。
 助けが必要なんでしょう?と。  
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2012 Mimori Asaha All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-