女王の商人

モドル | ススム | モクジ

  海賊と商人 8−7   

「事情を知らないと、助けようがないわ。まずは、話を聞かせてちょうだい」
 命よりも大事な積み荷を失くし、途方に暮れる異国の商人一行に、シアはそう話しかける。
 自分よりも、ずっと年嵩の、ろくに言葉も通じぬ相手だというのに、少女は相手の警戒心を解くように、にこっと晴れやかに笑って、味方であることを示す。
 普段の無鉄砲さと紙一重であるが、どんな相手でも物怖じしない、度胸の良さは、シアの長所でもあった。
 急に話しかけてきた銀髪の少女に、はるばる海を越え、西国チャンレイからやってきた商人達は、戸惑うように顔を見合わせた。
 チャンレイの言葉が、早口で飛び交う。
 竜やら極楽鳥やらの刺繍を施した極彩色の衣装が、こそこそと身を寄せ合い、ちらちらと探るような目線を向けてくる。
 突然、揉め事に首を突っ込んできた見知らぬ少女が、自分たちにとって敵か味方が、図りかねているようだった。
「キミハ……?」
 しばしの探り合いのあと、リーダー格らしい男が、たどたどしい言葉で尋ねてくる。
 異国訛りの強い言葉は、聞き取り辛かったが、シアは気にしなかった。
 問われたシアは碧眼をきらめかせ、にこりと不敵に笑んだまま、首から吊るした銀貨を持ち上げ、とんとん、と胸の辺りを叩いた。潮風が、見事な銀の髪をなびかせる。「――リーブル商会の者よ」声を張り上げるでもなし、されど、少女の声は凛とした響きをもって、高らかに、歌うようでさえあった。
 名乗られた彼女の立場以上に、シアの持つ雰囲気と、場の空気を変えるような物言いは、周囲の目を引き付けた。
 災難にあった異国の商人達も、彼らの諍いの相手であった船員も、寄ってきた野次馬たちも、表面上は落ち着きはらい、内心、ハラハラしながら見守っていた、アレクシスの目をも。
 ガタイの良い船員や、不審がる様子を隠そうともしない異国人たちに、ぐるりと取り囲まれたシアの姿に、彼が不安を感じぬといったら、嘘になる。
 人の目があるゆえ、滅多なことにはならぬだろうが、話がこじれれば、うっかり乱闘騒ぎにもなりかねない。
 何かあれば、いつでも割って入れるよう、さりげなく身構えていたアレクシスであった。
 しかし、それを杞憂だと笑い飛ばすように、いたって涼しい顔をした少女――女王の商人である彼女に、考え直す。
 腕組みをすると、積み上げられた樽に背を預け、視線はまっすぐに前を見据えたまま、静かに事の成り行きを見守る。
 それは、もどかしくも歯痒いことだった。
 何の武器も持たず、ただ己の言葉と、商人としての技量のみで、問題に立ち向かうシアの姿は、儚げな容姿とは裏腹に、頼もしいとさえ感じる。
 ――彼女は何も持っていないのに、それでも、目の前の問題に背を向けず、立ち向かっていくのだ。打算もなく、臆すでもなく、正面から。
 触れれば、壊れそうな、硝子細工の花のような見た目を裏切る、しなやかな強さ。
 それは、従姉であるシルヴィアを彷彿とさせて、守る、ということばさえも、おこがましく思える。
 大体、この状況で、剣を握るだけの男に、何が出来るというのだろうか。
 割って入りたくなる衝動に耐えて、シアと異国の民のやり取りを見守るアレクシスの横では、ディークが「あ―――あ。まーた面倒臭い事に首を突っ込むねぇ、あの子は」と、苦笑まじりに言う。
 よりにもよって、異国の商人と船員の揉め事なんて、こじれそうなやつを。消えた積み荷ねぇ……。
 そう呟いた濃緑の瞳には、呆れの色が濃い。けれども、潮風に乱れた亜麻色の髪をかきあげ、暑いとばかりに襟元のタイをゆるめ、
「さぁて、どんな風に収めたものか、お手並み拝見といこうか」
と続けたディークの横顔は、どこか愉快がるような、わくわくしたものが感じられた。
 アレクシスは組んだ腕をほどくと、チラッとディークを見やり、「……シアならば、心配せずとも、大丈夫ですよ。ディーク殿」と、一言、穏やかに諭す。
 その場限りの慰めではく、心から信じているような口調だった。
 青年の口から紡がれたそれに、ディークは少しばかり意外そうな表情をする。
 身を盾にし、庇いはしても、そんな風に深く信頼しているとは思わなかったので。
 アレクシスの言葉を素直に認めるのは、どこかシャクでもあったが、反発するのも大人げないかと、ディークもまた前へと視線を戻す。
 眼前では、シアが異国の商人たちの一行から、積み荷がなくなった経緯を聞き出しているところだった。
「積み荷が無くなったっていうけれど、いつまではあったの……?港に着いてから?船の中は念入りに探した?」
 聞き取りやすいように、話す速度を遅くしたシアに、異国の商人達はなおも警戒をやわらげようとはしなかった。
 積み荷がなくなったという動揺と、それを訴えた際の船員たちの丁寧とは言えない対応を思えば、無理からぬことだ。
 それでも、リーブル商会の名が持つ力と、シア自身の熱意が、わずかながらも、チャンレイの者たちの心を動かしたのだろう。
 青い衣をまとった男が、竜の意匠を背負った男の肩をぽんぽんと控えめに叩いた。
 腰まで三つ編みにした髪を揺らしながら、纏め役らしい男が訥々と、不馴れな異国の言葉で、自分達の身に降りかかった災難を訴える。
 積み荷の中には、チャンレイの要人からの預かりものもあり、それを無くせば、自分達は死よりも辛い目に合う。
 このままでは、母国にも帰れない。大切な大切な積み荷だから、航海の間もずっと、仲間たちが交代で見張りをしていた。さっき港に到着するまで、ちゃんと無事だった。
 イカリをおろしてから、乗客の乗り降りや、積み荷のあげおろしをしているうちに、気がついたら、自分達の荷が見えなくなっていた。
 どこかへ紛れ込んだのかと、必死に探したけど、見つからない。自分達が乗った船の船員に訴えても、異国の商売人がわけのわからぬことを言っている、とまともに取り合ってもらえなかったようだ。
 言語の壁があるせいで、なかなか要領を得ないそれを、シアは嫌がることなく、時折、質問を挟みながら、辛抱強く聞いてやる。
 話を聞き終えたシアは、なるほどね、とうなずくと、すっくと面を上げ、力強く言い切る。
「答えは、簡単だわ。積み荷が勝手に、どこかに歩いていくわけがないんだから、皆で港の中を捜索すればいいのよ!」
 迷いのない少女の横顔に、チャンレイの者たちは、虚をつかれたようだった。
 単純、明快なそれは、確かにこれ以上ない解決法であるが、手間と時間と、何より、積み荷の捜索に協力してくれる人手が不可欠だ。
 そのあてがない商人たちは、途方に暮れるしかなかったというのに、この少女は唐突に何を言い出すのだろう……?
 困惑する異国の民たちの目の前で、シアはずんずんずんと船に近寄ると、彼らの度肝を抜くような行動に出た。
 先程、商人たちと口論になった、短気そうな船員に「ねぇ……」と声をかけたのである。
 思わず、一歩、前へ踏み出しかけたアレクシスの腕をひいて、ディークが首を横に振る。
「ね、そこの船乗りさん、この人たちの荷物が何処に消えたのか、もう一度、探してもらえない?」
「あん?」
 唐突な乱入者に、面白くなさそうに葉巻をくゆらしていた船員は、シアの言葉に、「あん?」と眉をつり上げた。
 くしゃ、と指の腹で、火を揉み消し、船員はシアを見下ろす。
 よく焼けた強面、筋骨隆々たる偉丈夫に睨まれれば、怯えてもおかしくないが、商人の少女はぐ、と胸を張り、正面から渡り合った。
「よく事情も知らねぇで、無責任に、首を突っ込むんじゃねぇよ。お嬢ちゃん」
 恫喝するような声音にも、シアは引かなかった。
 代わりに、ふふんと鼻を鳴らす。
「その通りよ。でも、だからといって、首を突っ込んじゃいけない理由にはならないわ。それとも、聞かれたくない、やましいことでもあるの?」
 静かな口調、だが挑発めいたシアの一言に、船員が気色ばむ。
 太い腕が伸びて、少女の華奢な身体を突き飛ばしかけた。
 シアがう、と呻いて、二歩、三歩、後ろによろめく。
「そんなのねぇよ!失礼なガキだな!」
 周囲の野次馬から、高い悲鳴が上がる。
 異国の商人達も、血の気が失せた顔色で、右往左往する。
 額に青筋を刻んだアレクシスが、怒りで我を忘れ、剣を抜きかけるのを、ディークが「落ち着け」とばかりに、肩をひっつかんで制止した。
 動揺しまくる周囲をよそに、シア本人は意外にも、冷静だった。おっととと、ニ、三歩、よろめいたものの、踏みとどまり、唇を尖らせて、ドレスについた埃を、片手でパンパンッとはらう。
 いとけない少女に手をあげるという行為に、野次馬からの非難の眼差しが、船員へと集中する。
 異国の商人たち一行など、歯軋りし、今にも飛び掛からんばかりの形相だ。
 さすがに、やり過ぎたと悔いたのか、船員がバツの悪そうな顔で、シアに手を差し伸べた。
「……悪かったな。やりすぎた」
「いいわよ、お互い様だわ。こっちも言い過ぎて、ごめんなさい」
 銀の頭を揺らし、ふるふると首を横に振る少女に、船員は苦い顔で続けた。
「お嬢ちゃんは、ソイツらの味方かもしれねぇが、よりにもよって積み荷を盗んだような濡れ衣を着せられちゃあ、こっちも黙っていられねぇよ」
 船員の言葉に、商人一行は意気消沈した風にうつむき、気まずそうに目を逸らす。自分たちが先に疑ったという、負い目もあるのだろう。
 チャンレイの民に向けられる、船員の視線は鋭く、険しい。
 それともうひとつ、最近、ここ、エメスディアで起こる揉め事の数々、異国の商人と自国の者たちの間に起こる対立、言語や風習の違い故の諍いも、それに拍車をかけているのだろうと、シアは理解した。その辺りのことは、父、リーブル商会の長であるクラフトからも、聞かされている。
 いかに、航海技術が発達し、交易が盛んになろうとも、言語や人種の壁というのは、そう簡単に越えられるものではない。
 エミーリア女王陛下の方針もあり、アルゼンタール一の組織であるリーブル商会も、揉め事を減らすよう、心を砕いているのだが、上手くいっていないというのが、現状だった。
 たやすいことではないのだから、当然だ。……けれども。
 彼女は睨み合う商人と船員との間に立つと、すぅ、と息を吸った。
「……お互いを責めることは、いつでも出来るわ。でも、助けるのは、今しか、今しか出来ないの。異国人とか、そんなの関係なしにね」
 ここで、諦めてしまうわけにはいかない。祖父や父のようにはいかなくても、リーブル商会の一員として、見て見ぬフリをして、投げ出すことは許されないのだ。
「この人たちの積み荷を探しましょう。あたしも手伝うわ」
 当然のように言い切った銀髪の少女に、船員が不機嫌そうに顔を歪め、首を横に振った。
 固唾をのんで見守っていた異国の商人一行は、ごくっと喉を鳴らす。
「甘いこと言うなよ、お嬢ちゃん。大事な積み荷から目を離すなんざ、馬鹿のやることだ。自業自得だよ」
「その通りよ。この人たちの不注意だし、自分たちの責任だわ。でも……」
 船員の言い分を正しい、と認めた上で、シアはでも、と言いつのった。
「それでも、探すのよ。そうじゃなきゃ、アルゼンタールでは積み荷が消えるなんて、悪評が立つわ。盗人なんて、エメスディアの名も地に堕ちるでしょう……本当に、それでもいいの?」
 積み荷を乗せた責任くらいは、あるんじゃないの? 
 背伸びをして、曇りのない青い瞳にのぞきこまれ、上目遣いのそれに船員は、うっ、と鼻白んだ。
 話の筋が通っているかはさておいて、彼女の言葉には熱意と、揺るぎないものが宿っていて、容易には跳ね除けられない力がある。
 野次馬気分で、周囲を取り囲んでいた者たちにも、シアは同じ調子で説得を試みた。
 面倒事に巻き込まれまいと、そそくさと去っていく者もいたが、何人かはシアの熱意と熱弁に押されたように、その輪の中に巻き込まれていく。
 最初は、誰も相手にせず、皆、面倒だと顔をしかめるだけだったというのに、根気よく、根気よく、協力を乞うていくうちに、ひとり、またひとり、と捜索の輪が広がっていく。苦笑を浮かべ、しょうがない、と手をあげながら。
 それは、アレクシスから見ても、不思議な光景だった。
 彼女の祖父・エドワードのように、問答無用で人を惹きつける魅力があるわけではない。父・クラフトのように、弁舌巧みというわけでも、商人の先輩であるディークのように、経験豊かというわけでもない。
 いや、そもそも、シア自身には、捜索の輪を広げたところで、何も得るものはないのだ。だというのに、彼女の行動には迷いも躊躇も見受けられない。
「ちょっと……シア、なに関係ないことに首を突っ込んでいるのさ。ご依頼の件、忘れたわけじゃないんだろう?」
 先ほど露天商から手に入れた、眉唾ものの、洞窟の地図をひらひらとさせながら、ディークが忠告する。
 女王陛下の宝探しという、ご依頼がどこまで本気かはさておいて、積み荷探しなどということに、労力をさいている余裕はないはずだった。だが、シアはわかっている、とうなずいたものの、前言を撤回しようとはしなかった。
 異国の商人一行と肩を並べて、船の中をもう一度、見て回ったり、近くの倉庫番に話を聞いたり、積み荷を探して、港中を駆けずり回る。
 エメスディアの悪評に繋がる、という言葉が効いたのか、あの船員も渋々ながら、もう一度、船の内部を探し始めた。
 片手間程度ではあったが、野次馬たちも、「あっちに紛れ込んだんじゃないの」「いや、あの倉庫番はいい加減だからな。怪しいぞ」などと、ぺちゃくちゃと喋くり、情報を与えてくれる。
「あーあ、話が大きくなっちゃったね……しょうがない、手伝うか」
 困ったもんだと肩をすくめたディークが、仕方ない、と諦めた風に言う。とはいえ、言葉ほど不満げでもないのを、そのほころびかけた口元から見て取り、アレクシスはくく、と喉を鳴らした。――素直なんだか、素直ではないのだか、わからぬ人だ。
 ディークが敏感に反応し、猫のように目を細める。
「僕が何か、騎士殿?」
「いいえ、何も。俺も、積み荷探しを手伝おうかと」
 首を横に振ったアレクシスは、爽やかな海の風にはそぐわぬ、黒いマントの裾をひるがえし、ディークと共に積み荷探しに加わった。

 さんさんと太陽が照りつける中、積み荷探しは続いた。
 潮風があるので、幾分かマシだが、それでもなお、額からは汗がしたたる。遠く帆船の帆がたなびく、海面がきらきらと煌めき、白い波が何度も寄せてはひいていた。
 言いだしっぺである商人の少女は、休むこともせずに、チャンレイの商人達と共に、ドレスの裾を黒くしながらも、ぴょんぴょんと飛び跳ねんばかりの勢いで、あちらこちらを駆け回っている。
 倉庫の中を這いつくばったり、船の甲板に上ったり、アレクシスが止めなければ、スカートをたくし上げて、物見台にものぼっていたことだろう。
 おかげで、綺麗に整えた銀髪はぐちゃぐちゃだし、ドレスも惨憺たる有様だ。シアを着飾ることを趣味とする、リタら、メイド三人娘が見れば、さぞや嘆くだろうが、当人は気にする素振りもない。
 一度だけ、アレクシスの方を見て、恥ずかしそうにうつむいたが、彼が地面に落ちたリボンを拾い上げ、結び直してやると、ぱあ……、と花が咲いたような笑顔を見せられて、気の利いた対応も思いつかず、青年の方こそ赤くなって、どもってしまう。
 ありがとう、と叫んで、また捜索の輪に戻っていく少女を、ぼう、と見送る騎士の青年を、ディークが「何やってるのさ?」と、呆れたように、靴の先で小突いた。
 交易の要とされる港、エメスディアは広い。
 気の遠くなる程、沢山ある倉庫をひとつ、ひとつ、手分けしてみて回り、どこかにチャンレイの積荷が紛れ込んでいないか、探すことになる。とはいえ、倉庫番を説得し、開けてもらうのが、まず一苦労だった。
 しかし、そこはリーブル商会の名と、シアとディークの立場がものをいい、倉庫番の監視の元、余計なものには一切、手を触れないという条件付きで、何とか中に入れてもらう。
「ここも、ハズレか……」
 蝋燭の灯りを片手に、倉庫を見回したディークが嘆息し、次、行こう、と隣の倉庫を指差した。
 次の捜索場所へと向かう途中、亜麻色の髪の青年が、やや歩調を緩めたことに、隣のアレクシスが気づく。
 男の濃緑の瞳は、百メーテルほど先を行く、銀髪の少女の背中を映していた。
「……変な子でしょう?」
 誰のことを指しているかは、明白だった。
 是とも否とも答え難く、アレクシスは控えめに「そうでしょうか」と相槌を打つ。
 ディークは「はーあ」と息を吐くと、ため息まじりに続けた。
「赤の他人の為に、なんであんなにまでするかねぇ……要領も悪いし、僕には理解しかねるよ。バカみたいだ」
 ばっさばっさ、と遠慮のない言葉をぶつけながら、その口調に、それほどのトゲはない。むしろ、親しいが故の、情のこもったものだった。
 無論、呆れてはいるのだろうが。
 一理はあるだけに、肯定も否定もしかねるアレクシスをちらっと見て、ディークは再び視線を前に戻し、「それなのに……」と言う。
 変な子、と評した相手は今、チャンレイの商人達に囲まれて、何時の間にか仲間に加わった船員と、遠慮のない口げんかをしながら、寄ってきた野次馬たちの相手をしている。
「それなのに、何故か、周りに人が集まるんだよね。ただ、お節介なだけなんだけどさ」
 お世辞にも、友好的な関係とは言えぬのに、自分に話しかけてくるディークに、アレクシスは何故、と尋ねる。
 嫌というわけではないが、ただ純粋に不思議だった。
「貴方はなぜ自分に、そんなことを言うのですか」
「んー」
 アレクシスの問いかけに、ディークは一瞬、何かを懐かしむような、ひどく優しい目をした。
 前を歩く少女と、少年の日に言葉を交わした、美しい人の面影が、瞼の裏で重なる。
 白銀の髪に、スミレ色の瞳、儚げな雰囲気をただよわせた美しい人は、面差しがよく似た赤ん坊を胸に抱いて、ディーク、と幼い少年に微笑みかけた。
 ――やわく、儚く、春の木漏れ日のように微笑うひとだった。
 だあ、と若い母親の胸に抱かれた赤子が、少年に手を伸ばす。小さな手のひらが、何かを掴みたがっているようだった。
 かがんだ母親に、ディークがおずおずと手を伸ばしかえすと、赤ん坊がちょこんとディークと手を重ねて、にぱあ、と満足そうに笑う。その目は、青い空のような色をしていた。
 やわらかくて、ふにゅふにゃとした手のひらに、おっかなびっくりと触れた少年に、若い母親は優しく目を細めて、真摯な声で言った。
「この子を、シアをよろしくね……ディーク」
 繋がれた小さな手と、自分を見つめるスミレ色の瞳、彼の人が天に召された今も、その記憶は、ディークの頭の隅にあり続けている。
 僕も、と亜麻色の髪の青年は、頬をゆるめ、どこか晴れ晴れとした様子で笑った。
 敏腕商人と知られる者としてでなく、クラフト=リーブルに最も近い者、と囁かれる者としてでもなく、ただのディークという男として笑う。――約束は遠く、けれど、忘るることはなく。
「お節介なんだろうね」
 自嘲するような言葉とは裏腹に、その笑顔に陰りはなく、屈託のないそれは、刹那、アレクシスの目には、シアの祖父であるエドワードと重なった。
 血の繋がりだけでなく、誰にも縛られない自由な魂の形が、似ているからだろうか。海を空を大地を、どこまでも吹き抜ける風の如く。
「やれやれ……僕も年をくったもんだ。引っ掻き回したいような、でも、どうなるのか見届けたくなるような」

 港の隅の倉庫の一角に、紛れ込んでいた積み荷が見つかった時、シアやチャンレイの商人達は、わあ……!と高らかな歓声をあげた。
 あれほど、ぶつくさ言っていた船員すらも、ひゅう、と口笛を吹いて、シアは異国の商人の手を取ると、踊り出さんばかりの喜びようだった。
 しかし、最も喜んだのは、積み荷を無くしたと思っていた商人達だった。歓喜のあまり、目を潤ます者も、脱力したようにへたりこむ者も、安堵のあまり、おいおいと泣き出す者もいる。
 野次馬たちは、大仰なそれに苦笑したが、失えば母国に帰れぬかも知れなかったのだから、無理もなかろう。
 積み荷が無事であることを確認し、リーダーらしき痩せた男は、ぎゅうう、と強くシアの両手を握りしめた。
「アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ……」
 流暢とは程遠いそれは、けれども、よくよく気持ちがこもっていて、シアを面はゆい気持ちにさせた。
 じんわりと滲む手のひらに、走り回っただけの甲斐はあったのだと、充足感がこみあげる。
 これで、エメスディアの揉め事が少なくなるなどと、甘い夢は抱けない。それでも、きっと無駄ではなかったのだ。
「その、良かったな」
「うん!」
 アレクシスの言葉に、シアはうなずくと、なにかお礼をと追いすがる異国の商人たちを振り切り、本来の役目に戻ることにした。
 ディークに預けていた地図を受け取り、真剣な表情で、それを吟味する。
 宝の地図というのは、あの露天商のホラだとしても、洞窟の地図としては、役に立つかもしれない。
 気が付けば、だいぶ時間が経っており、日没までに見て回ろうと、三人は歩調を速めたのだった。
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