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女王の商人
モドル
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八章 宝石と商人 9-10
「ちょっと……!父さん……っ!どういうつもりよ!開けなさいってば!」
クラフトに部屋に閉じ込められたシアは、ガチャガチャとノブを回したり、力ずくで無理やり扉を押し開けようとしたが、無駄な足掻きだった。
つっかえ棒でもかませたのか、どれほど力をこめようとも、 扉はビクともしない。
叩いた拳を赤くしながら、閉ざされたままの扉は、いっそ無情なほどだった。
焦りに顔を歪め、父親の暴挙にイライラしながら、シアは甲高い声で叫ぶ。
「あたしは、女王陛下のお役目を果たさなきゃいけないんだから!わかっているの?父さん……っ!」
切羽詰まった愛娘の、必死の訴えにも、扉の外にいるはずのクラフトは無言だった。
まさか、この大声が聞こえていないはずもないのに、うんともすんとも言わない。
諦めきれず、扉をバンバンと叩いていたシアは、脱力感から肩を落とし、ずるずると床にずり落ちた。
父親の説得を、諦めたわけではない。けれど、一度、こうと決めた時のクラフトの頑固さを最もよく知る娘としては、閉ざされた扉一枚が、どこまでも分厚い壁に思えた。
「……っ、」
意志が強くて、時には頑ななほどに頑固で、たとえ挫けても、地面を這いつくばっても、己の信念を曲げない。結局、似た者同士な父娘なのだ。
そう、最後の最後まで悪あがきを続けて 、諦めの悪いところも!
すぅ、と息を吸うと、キッと青い瞳で扉を見据えて、銀髪の少女は吠えた。
「……って、諦めてたまるかああぁぁぁ!父さん、馬鹿いってないで、開けなさいってば!あたしは、レイスティア侯爵家に行かなきゃ……!アレクシスが、アレクシスが待ってるんだから!」
わんわんと反響するシアの叫びとは裏腹に、扉の向こう側では、長い沈黙が続く。
クラフトが立ち去った気配も、また足音もしないから、その場に留まっているのだろう。
終わりの見えない、重苦しいほどの沈黙に、シアは唇をなめた。
長い長い沈黙のあと、ようやく、クラフトが口を開く。
「たとえ、最愛の娘に嫌われようと、憎まれようともレイスティア侯爵家には、絶対に行かせないよ。それが、きみの母親……エステルの望みだろうから」
切なげな口調で、絞り出すような父の言葉に、シアは怪訝そうに眉をひそめる。
「父さん……?」
「そういうことだから、今回ばかりは諦めなさい。レイスティア侯爵家には、名代を送る。女王陛下には、私から丁重に、お詫びをしておくから」
詳しくは語らず、話を終わらせようとする父に、シアは疑念を抱き、眉間の皺を深くした。
クラフトは飄々とした狸おやじだが、仕事に関しては厳しく、妥協を許さない人間だ。
本来であれば、リーブル商会の看板を背負ったシアが、女王陛下のお役目を投げ出すなどという真似、絶対に許されないはずである。それなのに、今は部屋に閉じ込めて、自ら妨害をしている。
敬愛するエミーリア陛下を裏切り、アレクシスに迷惑をかけて、愛娘の顰蹙を買う覚悟で。
そうまでして、レイスティア侯爵家に行かせたくないのだ。その理由は――
(亡くなった母さまと、レイスティア侯爵家が、何か関係があるの……?)
子供心にも儚げで、どこか影を背負い、わけありげな雰囲気を漂わせていた、エステル。
黒い貴婦人の姿に怯えて、シアが彼女に近づくことを、ことのほか恐れていた。
『シア……どうか、あの御方には、黒いドレスの貴婦人には近づかないで……』
『あの御方は、私を、この世の誰よりも、憎んでいるの』
『お願い、どうか、貴女だけは幸せになって……シア』
祈るように必死に、そう言い続けていた母の、切なげな横顔を、娘は思い出す。
それに……母さまの宝石箱にあった、一角獣の紋章が描かれた、あの指輪。
母は亡くなるまで、己がリーブル商会に拾われるまでの過去を語らず、己の生まれについても、頑なに口をつぐんでいたが、あの指輪は、庶民の娘のものにしては、あまりにも高価過ぎる。
母は、決して、人のものに手をつけるような人ではない。ならば、エステルはどうやって、何処で、あの指輪を手に入れたのだろうか。
それは、件のレイスティア侯爵家と、何か関係があるのだろうか。
理不尽な父親に、苛立ちを隠せなかったシアだが、ほんの少し冷静になると、いろいろと違った形で見えてくるものもある。
『シア……忘れないでね、私はずっと、クラフトと貴女のことを……』
エステルの儚くも、美しい微笑みが、脳裏によぎる。
若くして、病で天に召されてしまった、母さま……。短い歳月の中で、夫とひとり娘に、深い深い愛情を注いでいた。
そんなエステルの生き写しと呼ばれるシアは、真っ直ぐに扉を見つめ、否、扉の向こうにいるであろう父親と向き合おうとした。
性格は正反対ながらも、その曇りない眼差しは、彼女が母から受け継いだ、得難いものだ。
想いよ届けと願いながら、シアは父親へと、扉越しにゆっくりと語りかけた。
「聞いて、父さん……」
「……シア」
「もし、母さまとレイスティア侯爵家の間に、なにか関わりがあるならば、あたしは真実を知りたいし、向き合いたいの。――それは、母さまの娘、あたしを愛してくれた母さまの為に出来る、唯一のことだと思うから」
扉の向こう側にいる男の元へ、亡き妻の忘れ形見である娘の声は、届いているだろう。
沈黙と、優しい静寂が、ふたりの間に横たわっていた。
エステル……亡き妻の名を呼ぶ、父のかすれた声と、小さく鼻をすするような音が聞こえた。
苦笑まじりに、男は言う。仕方ないね、と。
扉にかませていたつっかえを、取り払ったおかげで、閉ざされていた扉は、驚くほどにあっさり開いて、シアは部屋の外に出ることが出来た。
恐る恐る部屋から出たシアは、幾度も銀の睫毛を瞬かせ、不安そうな顔つきで、父を仰ぎ見る。
クラフトがどんな表情を浮かべているのか、正面から見るのが、何故か怖かった。
「……父さん」
ふっ、とクラフトが小さく笑う気配がした。
諦めたというよりは、どこか納得したようなそれだった。
あたたかな手のひらが、わしゃ、と少し乱暴な、愛情のこもった手つきで、愛娘の銀髪を撫でる。
父親の目が細められて、優しくシアを映していた。
「好きにしなさい。きみは、僕と僕の最も愛したひとの、子供だ。だから、信じてるよ。シア」
短い言葉に込められた、胸がつまるような切なさと愛情を感じて、シアは何も言えなくなる。
クラフトは、娘の気持ちを、わかっているよ、という風に小さくうなずいて、彼女に背を向けると、ゆっくりとした足取りで、階下に下りていった。
立ち尽くしたシアは、かたく唇を結んで、その後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「よぉ――、わざわざ、ウチの孫を迎えに来てくれたのかい?伯爵家の坊ちゃま」
玄関をくぐり、扉を開けるなり、耳に飛び込んできたそれに、アレクシスは僅かに黒い瞳を丸くして、こちらに歩み寄ってくる影を見つめた。
渋く、張りのある声は、若々しい。
低く、渋いそれは、男の色気すら感じさせるというのに、その声から受ける印象は、いたずら小僧のようなそれだ。
それは、大商人としての一線を引いてなお、男の瞳があせることなく、青年期と同じ好奇心に満ち、力強い輝きを放っているからだろう。
グレーの髪、やや垂れ気味の緑眼、年を重ねてなお、端正なたたずまい。
エドワード=リーブル。
シアの祖父で、クラフトの父、貧しい生まれから、わずか一代で国一番の大商会を築き上げ、巨万の富を手にし、商人の王とも評される男がそこにいた。
「――エドワード殿。お許しもなく、立ち入った非礼を、お許しください。その、約束の刻限が近づいておりますもので……」
不意打ち的な出会いに、やや居心地の悪さを覚えつつも、アレクシスは事情を語る。
約束の時間を過ぎても、シアが己との待ち合わせの場所に来なかった為、心配に思った彼は、彼女を呼びに来たのだ。
シアは少々、そそっかしく、慌て者なところはあるが、間違っても、故意に約束を破るような性格ではない。
最初、アレクシスは、リーブル商会の仕事場を訪ねたのだが、エルトたちにお嬢さんなら、仕事場の隣、屋敷の方にいると言われて、そちらに足を伸ばした。
玄関前で買い物に出掛ける、メイドのニーナとすれ違い、どうぞ、お入りください、と言われて、今に至る。
「細けぇこと、気にするなよ。心配して、迎えに来てくれたなんて、シアの奴が知ったら、泣いて喜ぶさ」
エドワードは、にかっと豪快に笑う。
破顔一笑。
子供のように屈託ないそれは、何とも言えない華があり、否が応でも人を引き寄せて止まない。
一切の媚びがないにも関わらず、自然と、この人についていきたいと思わせる。 これこそが、エドワード=リーブルを稀代の商人に押し上げたものなのだと、騎士の青年は思わず、姿勢を正した。
いいえ、謙遜し、アレクシスは控えめに微笑う。
「そんなことはありません。シアがいないと、ひとりで何も出来ないのは、俺の方です」
あくまでも謙虚な姿勢を崩さない青年に、エドワードは「そんなことはねぇさ。しかし……」と、笑みを深くし、ついで、しみじみとした口調で続けた。
「騎士殿、悔しい気もするが、あんたは本当に良い男だな。うちの孫娘には、ちょっとばかし、勿体ねぇよ」
エドワードのそれは世辞ではなく、本音だった。
容姿も家柄も財産も 関係なく、真実、認めたくなる男はそうそういない。
アレクシスは、その数少ない男なのかもしれなかった。
――エステルさんよ、安心しろ。あんたの娘は、男を見る目はあったみたいだな。
天国にいるであろう、亡き義理の娘に想いを馳せながら、エドワードはアレクシスに呼び掛けた。
「騎士殿。あんたを見込んで、ひとつ頼みがある」
「はい、何でしょうか?」
「この先、何があったとしても、あいつを……シアを守ってもらえるか?」
普段、悠々と不良老人を気取っているエドワードのそれは、いつになく真摯で、アレクシスの耳には重く響いた。
シアを、俺たちの宝を、大切な大切な孫娘を、己が身を盾にしても、守ってくれるのか?
アレクシスは真っ直ぐに、エドワードの目を見つめ返すと、何の迷いもなく言い切った。
穏やかながら、芯の強さが感じられる声だった。
「シアは、俺が守ります。必ず……」
それを聞いたエドワードは、「そうか」満足気に、うなずいた。
「うん、それだけ聞ければ、十分だ」
エドワードは、商人の王と呼ばれた男としてではなく、ひとりの祖父として、青年と孫娘の絆を信じようと思った。
苦難もあるだろう、挫折もあるだろう、きっと、すべてを投げ出したくなることさえも、この先、待ち受けているに違いない。
それでも、シアとアレクシスのふたりならば、きっと乗り越えると信じられる。
この不器用ながらも、誠実で、嘘偽りない目をした青年と、商人としては、まだまだ未熟ながら、人として大切なものを、ひとつひとつ大切に掌中に拾い上げて、彼を選んだシアの決断を。
「大丈夫よ、あなた。私が愛したあなただもの、きっと乗り越えられるわ」
裕福な家に生まれながらも、足の不自由な文無し青年に過ぎなかったエドワードを選んでくれた、亡き妻のことを想う。
困難な状況にあっても、否、困難な状況にあってこそ、彼女はいつも笑っていた。
大丈夫よ、あなた。信じているわ、あなたの愛した子供たちだもの、きっと、どんな困難に突き当たっても、迷いながらも、前に進んでいくわ。
妻が、彼女が生きていたら、きっと、そう言って、笑ってくれただろう。だから。
その分、エドワードは晴れやかな笑顔を浮かべた。亡き妻の分も、そして、エステルの分も。
「それじゃあ、いってきます」
すったもんだの大騒ぎの末、ようやく屋敷を出ることが出来たシアは、後ろ髪を引かれる思いで、後ろを振り返った。
一応、送り出してはくれたものの、ひどく寂しげな目をしていたクラフトのことが気がかりだった。
窓越しに、父の姿は見えない。いま、どんな表情をしているのだろうか。
「……シア?」
アレクシスが気遣うように、控えめに彼女の名を呼ぶ。
約束の刻限が迫っているからか、彼の唇から、戻るか、という言葉が出ることはなかった。
「ううん、何でもない。ごめん。行こう、アレクシス」
首を横に振ると、銀髪の少女は黒髪の青年へと向き直り、迷いを振り切るように、一歩、力強く踏み出した。
「おいおい、いつになく浮かねぇ面をしてやがるな。クラフト」
二階の部屋から、去っていく娘の後ろ姿を見送っていた息子に、エドワードが声をかける。
「エドワード父さん……」
さびしげに微笑んで、珍しく、不安を隠そうともしないクラフトの肩を抱いて、父は息子を励ます。
「あいつは、お前の子で、俺の孫じゃねぇか。信じなくって、どうするんだよ」
と。
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