女王の商人

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  八章  宝石と商人 9−3  

 通してちょうだい、エミーリアがそう己の女官に命じると、女王陛下の御前に、一人の貴族が連れてこられた。
 エミーリアは、紅い唇に閉じた孔雀羽の扇をあてると、花がほころぶような艶やかな微笑を浮かべた。
 その聡明さと、どこか茶目っ気を宿した女王の眼差しは、御前で膝をついた一人の男へと注がれている。
 久しぶりね、と口にしたエミーリアの声音には、慕わしさがにじみ、心なしか弾んでいるようだった。
「もう……一年ぶりかしら?コンラッド。会いに来てくれて、嬉しいわ」
 親しみのこもったそれにも、コンラッドと呼ばれた男は、生真面目な気質なのか、あくまでも慇懃な態度を崩そうとはしなかった。
 しかしながら、エミーリアを仰ぎ見、細められる男の――コンラッドの瞳は、麗しの女王に対する敬意よりも、幼い王女時代を知る者として、その成長ぶりを見守るようなそれだった。
「領地の管理が忙しく、ご無沙汰しておりました。女王陛下におかれまして、ご機嫌うるわしく……」
 なおも続きそうなコンラッドの口上に、 エミーリアは麗しく気品に満ちていると言われる、女王としての顔を隠し、かつて、従兄と共に戯れていた時の、童女のような顔で拗ねてみせる。
「そんな風に堅苦しくしないでちょうだいな、コンラッド。わたくしがお転婆ばかりだった少女の時分を思い出しても、そんな態度が取れるかしら?」
 片目をつぶり、茶目っ気たっぷりに、そう言い放った女王陛下に、コンラッドは小さく噴出し、明るい笑い声を上げた。
 どうやら、エミーリアの過去の武勇伝の数々を、鮮明に思い出したらしい。
「ああ、確かに……!貴女は、お転婆な王女様だった!珍しい実がなってるからと、木登りに付き合ったり、かと思えば、うっかり、落下しかけて肝を冷やしたり……」
 そういえば、厨房に忍び込んで、隠れんぼをしていたこともありましたね。
 つらつらと思い出を語るコンラッドに、今度は、エミーリアが頬を赤らめる番だった。淡い褐色の肌が、ほんのりと朱に染まる。
 もうっ、幼い時のことは、水に流してくれてもいいじゃない。
 はははっ、と朗らかに笑う従兄に、エミーリアは幼い頃に戻ったような、どこか懐かしい気持ちになった。
 リーディア叔母様が生んだ、レイスティア侯爵家の一人息子、コンラッドは王家の血を濃く引きながらも、驕ることのない控え目な性格で、 その穏やかな物腰と相まって、多くの人から、好感を持たれていた。
 エミーリアにとっても、従兄であり、幼い時の守役にして、尚且つ遊び相手でもあったコンラッドは、信頼のおける兄のような存在である。
 本来であれば、王宮の中心であってもおかしくない人物であるが、長く病に臥せる侯爵の父と、生母であるリーディアの狂気が、成人してなおコンラッドの背に暗い陰を落としていた。
 母から目が離せぬ為、屋敷に籠もりきりの彼に、同情の声は少なくない。
 幼い王女の破天荒な行動の数々を思い出し、快活に笑っていたコンラッドは、緩やかに目を細め、しみじみとした口調で言った。
「貴女は変わらないな。エミーリア……母は、あんなに変わってしまったというのに」
 過去を懐かしむそれは、やがて、現在を嘆くそれに変わる。
 どこか疲れたような声だった。
 いつになく、うち沈んだ態度を見せる従兄に、エミーリアは「何かあったの?」と、理由を尋ねた。
 そもそも、万事に控え目で物静かな従兄が、そのような物言いをすること自体、めずらしいことだ。
 コンラッドは小さくうなずくと、「これを見てほしい」と、銀とサファイアの細工で、薔薇と一角獣が描かれた宝石箱を取り出し、その鍵穴に金の鍵を差し込んだ。
 カチャリ、と音がする。
 蓋が開いて、そこから溢れ出した、まばゆいほどの輝きに、 エミーリアは目を見張った。
 豪奢な宝石箱の中、深青のビロードの中心には、大人の拳ほどもあろうかという真っ赤なルビーが鎮座している。
 光の屈折の加減か、その輝石には白い星のようなものが、浮かび上がっていた。
 コンラッドの手がルビーを取り上げ、その輝きがよく見えるよう、光の方へとかざして見せる。
「素晴らしいわね……これほどのものは、なかなかないでしょう」
 エミーリアが、ほぉ、と心底、感心した様子で大きく息を吐いた。
 美しい、という言葉では足りない。
 その輝きに見入られたならば、まるで、魂までも奪われしまいそうな、そんな妖しい魅力にあふれた石だった。
 エミーリアも王冠は例外としても、価値ある宝石の類には、事欠かない。
 そんな女王の目から見ても、コンラッドの掲げたルビーは、やはり稀有なものであった。
 コンラッドは翠の瞳を細めると、淡々とした声音で言った。
「『女神の血』我ら、レイスティア侯爵家の家宝だ……かつて、神聖エストリア帝国の宝冠を飾ったものらしい」
「神聖帝国の遺物ね……!」
 エミーリアの声音には、感嘆の響きがあった。
 今はなき神聖エストリア帝国は、アルゼンタールの母体であった国家であり、歴史的にも深い交わりを持つ。
 神聖帝国の瓦解より、三百年余り、その遺物となれば、歴史的な価値は計り知れない。
 ああ、とうなずきながらも、女王の従兄にあたる男の顔色は冴えなかった。
 端正な顔を歪め、苦悩しているようですらある。
「その、歴史的にも価値あるものを、母が競売にかけようとしているんだ……我が家が代々、大切に守ってきたものだというのに」
 続けられたコンラッドのそれは、憂いを帯びていた。
「リーディア叔母様さまが……?まさか、競売にかけるだなんて、そんな……!」
 昔日の栄光には、やや陰りが差しているとはいえ、先王の妹の降嫁先であるレイスティア侯爵家は名門であり、経済的にも困窮しているという話は聞かない。
 そうでなくとも、希少な家宝を、誰の手に渡るともしれぬ競売にかけるなど……!
 王妹として、何不自由なく育ったはずの叔母・リーディアが、何故、急にそのようなことを言い出したのか、エミーリアは計りかねた。
 従妹の声に非難がにじんでいるのを知りつつ、コンラッドはさながら、苦虫を噛み潰したような顔で語る。
「私は止めたんだが、母が聞かないんだ……何でも、その宝石を持っていると、災いが起こる、という、お気に入りの占い師の託宣があったらしく、それを信じ切っている」
 無理に止めようとすると、母が手のつけられない癇癪を起こすし、父はそんな話を出来るような状態じゃない。
 競売を開くことで、少しでも母の気が鎮まるなら、そうした方がいいのか悩んでいるのだと、眉間に苦悩の皺を寄せ語った従兄に、エミーリアは労るような眼差しを注いだ。
「コンラッド……」
「当家の恥を晒すようですが……お願いがございます。女王陛下」
 コンラッドは膝に置いた拳を握りしめると、顔を引き締め、某かの決意を秘めたような声で言った。
 お願い?と首をかしげたエミーリアに、コンラッドは、はい、と首肯する。
「歴史的な価値も無視できない、宝石です。神聖帝国の遺物ならば、女王陛下、貴女の手元にあるのが本来、最も相応しいことでしょう」
 素性のよくわからぬ輩には、渡せない。
 値は関係なく、エミーリア、貴女に競り落としてもらえないだろうか、と従妹でもある女王に、レイスティア侯爵家の嫡子は懇願した。
「……わかったわ」
 しばしの間を置いて、気心の知れた従兄の言葉に、女王は頷いた。
 コンラッドが心から、安堵した表情で頭を垂れる。
「叔母様が納得しないなら、そうしましょう。コンラッド兄さま」
 エミーリアは従兄の不安を和らげるように、懐かしい呼び名を口にしたのだった。
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