女王の商人

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  八章  宝石と商人 9−6  

 女三人寄れば、かしましい。
 シアお嬢さまの部屋には、リタらメイド三人娘が集い、鏡台を前に、きゃっきゃっと明るい笑い声を響かせていた。
「リタ、悪いけど、そこの髪留めを取って」
「これかしら?ベリンダ」
「そうそう、その棚の横にあるヒナゲシのね」
 艶もあり、サラサラと指通りも良い、絹糸のような銀髪を編み込む、ベリンダの声はうきうきと弾んでいる。
 シアお嬢さまの髪、長くて綺麗だもの、いじり甲斐があるわあ。
 くるりと輪にした三つ編みを、銀細工のバレッタで留めるベリンダの満面の笑みとは対照的に、鏡台の前に腰をおろしたシアは、げっそりと疲れていた。
 髪をいじる方は楽しいかもしれないが、 延々いじられる方は、けっこう退屈である。
 そんな彼女の気持ちなど全くお構いなしに、黄金の薔薇の縁取りがなされた鏡の中では、櫛を手にしたリタが、前髪を整え、その後ろから現れたニーナが、ぱたぱたと頬に白粉をはたいてくる。化粧のノリを確かめる作業も、念入りだ。
 何もそんなにしなくてもという気になったシアは、
「ねえ、もう十分でしょ?立っても、いい?」
と、白粉をはたいてくれるニーナに尋ねる。
「ダメです、王城に行かれるんですから。シアお嬢さまは、四の五いわず、じっとしていてくださいね」
 目のぱっちりとしたニーナは、可愛らしい笑顔で、お嬢さまの願いをばっさりと切り捨てた。
 花のような、愛らしい笑顔と、無自覚だろうが、さりげに毒のある口調が恐い。
 何を世迷い言をといいたげだ。
 女としての圧力に負けたシアは、首をすくめ、すごすごと小さくなった。
「……はい」
 諦めて、メイドたちの着せ替え人形になることを受け入れたお嬢さまに、ニーナはそれでいいのだと、満足気にうなずく。
 リタたちの手が魔法のように動いて、自分を飾り立てていくのを、シアは鏡越しに見つめる。
 銀の髪は編み込んだあとねじり、花の髪留めでまとめられる。
 余った髪は、ゆったり背に流されている。昔の姫君のようなそれだ。
 控えめな襟ぐりのドレスは品が良いが、象牙色の生地は淡い光沢を帯びており、地味な印象はない。
 ほそりとした首には、十字を象った、真珠と黒真珠のネックレス。
 化粧は薄く、少女の儚さを引き立てるように、薔薇色の頬、唇は瑞々しい。
 鏡に映った己を見つめ、ベリンダたちったら、張り切りすぎよ、とシアは心の中でぼやいた。
 五日ほど前、彼女の父クラフトが女王陛下への謁見に、後継者である一人娘を伴っていくと告げた時、喜んだのはシアよりもむしろ、メイド三人娘の方だった。
 近頃は、シアも商会の仕事や父の手伝いで、じっくり着飾るような機会がなく、 内心、我慢が貯まっていたらしい。
 そのうっぷんを晴らすかのように、朝からお嬢さまを鏡台の前に座らせると、メイドたちは嬉々として、着せ替えにいそしんでいるというわけだ。
 雇い主の娘とはいえ、年上のお姉さま方に囲まれては、シアも嫌とはいえず、引きつり笑顔のまま、流れに身を任せる。
 ニーナが筆で唇に紅を引き、納得したように、うん、と一度、うなずいた。
 リタとベリンダも鏡の脇から顔を出し、そこに映るシアを確認すると、目を合わせ、うなずきあった。
「はい。もう結構ですよ、シアお嬢さま。今日はいつもに増して、お綺麗ですわ」
 リタはさらりと美しい黒髪を揺らして、お嬢さまの肩に優しく手を置く。
 鏡面に映る、黒髪の娘もシアと並び、同じように微笑んだ。
「ありがとう、リタ。ニーナ、ベリンダも」
 シアはくるりと姿見の前で回り、複雑に編み込んだ銀髪に、感嘆の息をもらした。
 リタとニーナも上手だが、ベリンダは群を抜いて、手先が器用だ。
「いつもに増して、こってるわね……なんだか、昔のお姫様みたい」
 ふふふ、とベリンダは、ちょっと得意気に胸をそらした。
「ドレスが古風なものですから、それに合わせてみました。モチーフは、ロザリーヌですわ」
「ああ、あの歌劇ね。なるほど……」
 ベリンダの言葉に、シアは青い瞳を瞬かせ、服装と髪型の意味を悟る。
 ロザリーヌは、かの高名な劇作家アルワードの手による悲恋であり、身分差ゆえに結ばれぬ恋人同士を描いたものだ。
 その主人公が、上流貴族の跡取り娘である、ロザリーヌ。
 放浪の騎士と一目で恋に落ちるものの、厳格な父や婚約者に阻まれ、引き裂かれてしまう。
 その健気さと、主役を演じた女優の儚さがあたり、今や誰もが知る人気の演目である。
 古風な髪型の理由は納得したものの、シアのそこまでこらなくても、という心理を察したのだろう。
 ニーナは苦笑しながら、いたずらめいた仕草で、シアの鼻先をちょいと小突いた。
「しかめっ面は、しちゃ駄目ですよー。シアお嬢さま。いつも堂々とした笑顔でいなきゃ、あたしたちが頑張った甲斐がありません」
「ニーナ……」
 シアは、目を見張った。
 愛嬌があって、お洒落で、ちゃっかりしていて、恋の話が大好きなニーナは、普段、年の差を感じさせず、それでも、時折、大人の顔で笑う。
「シアお嬢さまは、将来、リーブル商会の顔になるべき方なんですから、それを忘れないで下さいね。あたしたちも、精一杯、頑張りますから」
 甘え上手で、メイド三人娘の中で一番、調子の良いニーナだったが、その言葉はひどく真摯な響きを帯びていた。なので、シアもまた表情を引き締め、その誠意に答えるように、首を縦に振る。
「わかっているわ。これからも、宜しくね。ニーナ」
 ――本当は、シアもわかっているのだ。彼女を着飾らせることだけが、メイド三人娘の趣味だけではなく、お嬢さまへの愛情だという位。
 人は外見ではないと言いつつも、礼儀にうるさい宮廷にあって、身なりで侮られないことは大切なのである。
 祖父エドワードが、一代で財を築き上げたリーブル商会を、平民の成り上がりと蔑む輩がいるうちは、尚更だ。
 鏡に映った己をじっと見つめ、シアは表情を引き締めた。


 約束の刻限、家の馬車に乗ったクラフトたち父娘は、王城へと赴く。
 門番や、女官たちも心得たもので、シアとクラフトの父娘の姿を認めると、煩雑な手続きもなしに、滞りなく謁見の間に通される。
 玉座から一段、低い場所に身を置いたリーブル商会の長は、年齢と経験ゆえの落ち着きか、普段通り、穏やかな微笑を浮かべていた。
 クラフトとて、商人の世界では若僧と呼ばれてもおかしくないのだが、二代目という立場に甘えず、リーブル商会を盛り立ててきたことが、自信に繋がっているのだろう。
 決して、偉ぶるような振る舞いを好む男ではないのだが、鷹揚な笑みの中にも、堂々とした気品のようなものがある。
 一方、そんなクラフトの隣に居るシアは、やや緊張したような、生真面目な表情で、彼女にしては大人しかった。
 畏れ多くも、エミーリア女王陛下の目をかけていただき、女王の商人という役目を与えられていても、今日はあくまでも、リーブル商会の長である父に付いて来ただけの娘だ。商会の長としての振る舞いを、学ばせたいという父の意向、女王陛下に跡取り娘を印象づけたいという、商人らしい計算を、彼女とて理解している。
 父親としては、亡き妻の忘れ形見に甘いところも多いが、商人としては百戦錬磨のクラフトは、身内でも評価を甘くするようなことはしない。商会の長としての冷徹さは、ディー兄との一件でも、証明済みだ。アレクシスと二人、女王陛下の御前にある時よりも、父の目があると思うと、気が抜けない。
 父娘がしばらく待っていると、衣擦れの音をさせて、女官を伴い、エミーリアが姿を見せた。
 まばゆい金髪は、果実を模した宝石で飾られ、千花模様を織り込んだドレスの長い裾を、若い女官が捧げ持つ。
 左手に持った孔雀の扇で、ゆったりと自身をあおぎながら、女王は優美な所作で、玉座に腰を落ち着ける。
 そうした途端、空だった玉座は、来るべき主人を待ち望んでいたかの如く、しっくりと場に馴染んだ。
 エミーリアはオリーブの瞳を細め、頭を垂れたクラフトとシアを交互に見、紅唇を開く。
「前回の議会以来ね、クラフト。元気にしていて?シアも、会えて嬉しいわ」
 許しを得たクラフトは、すっと面を上げ、爽やかな笑みで応じた。
「女王陛下はご機嫌うるわしいようで、何よりでございます。シアも何かと至らぬ娘ではございますが、どうか、存分に陛下の手足としてお使いくだされば、身に余る栄誉でしょう」
 普段は飄々とした微笑と、へらへらと穏やかな、のらりくらりとした態度で、亡き妻の忘れ形見である一人娘から、狸親父だの腹黒だの、言われ放題のクラフトだが、女王陛下の御前にあっても、緊張を表に出すことがないのは、流石は、大商会の長というべきか。
 シアには、未だ辿りつけぬ境地である。
 気心の知れた相手とあって、エミーリアは「ええ、ありがとう」と軽くうなずくと、では、早速……と本題に入った。
「クラフト、前回の議会の時、貴方が言っていたのは……東方の商人連合が、変わらず、我が国と手を結びたがっているという話だったわよね?」
「はい、陛下。今日、私を呼ばれましたのは、その一件でございますか?」
 クラフトの問いかけに、エミーリアはばさり、と閉じていた羽扇を広げた。
「相変わらず、察しが良いこと。そう、例の東方の商人連合が、勢力を伸ばしているという話は、アンバー伯からも聞かされているわ。ただし、ここ数年で急成長したというだけあって、内側での連携はあまり良くないとか……先ごろの東部の内紛にも一枚、噛んでいるという、キナ臭い噂もあるわね」
「女王陛下の情報収集のお力には、商人の私といえども、敬服いたします。ええ、仰る通り、含むところは多そうですね。利用しようとしているのを、逆手に取ってやるのも、一興ではございますが……」
 いまだ何かを発言することは許されぬとはいえ、いずれ、自分が継がねばならぬ役目の為に、シアはじっと真剣な面持ちで、父と女王陛下の会話に聞き入った。
「それでは、クラフト……今、話した通りにしてちょうだい。貴方なら、任せられるわ」
 エミーリアの言葉に、リーブル商会の長は臣下としての礼を取り、「はっ」と恭しく頷いた。
「お任せください。すべては、陛下の御心のままに」
 ええ、よろしくね。
 嫣然と唇をほころばせたエミーリアは、若いながらも支配者の風格を漂わせていて、シアはごくりと唾をのみ込んだのだった。

 
 一通り、仕事の話が済んだところで、三人は場所を移した。
 女王陛下の私的な一室には、女官たちの手によって、お茶の支度が整えられている。
 黄薔薇模様の壁紙、天井からさがる、見事なシャンデリアの煌めきが目にまぶしい。
 室内はそう広くはなく、王宮にあっては、こじんまりとした造りである。
 淑やかな所作で働く、給仕の女官をのぞいて、衛兵も扉の外に下がっており、人払いもされている。
 その為か、エミーリアの表情も謁見の間に居た時よりも、心なしか和らいでいるようだった。
 王室御用達の紅茶、料理人が腕を振るったクッキーやタルトに舌鼓を打ちつつ、会話も弾む。
 多忙の合間のお茶会を楽しんでいるのか、シアの言葉にエミーリアも若い娘らしく、羽扇で品よく唇を隠しながらも、よく笑った。
 クラフトはにこやかに、ゆったりと足を交差し、聞き役に回っている。
 場の空気も和んできたところで、エミーリアが「そうだわ、今、頼んでおきましょうか」と話を切り出した。
「はい……何か御用でしょうか、女王陛下」
 きょとんと首を傾げたシアに、「実はね……」とエミーリアは続ける。
「シア、貴女にオークションの競り落しを頼みたいの……さる名家が所有していて、『女神の血』と呼ばれる、希少なルビーなのだけれど、事情があって私の手元で引き取るつもりなのよ」
「宝石の競り落し……ですか?」
 問い返す銀髪の少女は、少し意外そうであった。
 女王陛下は珍しいものが大好きな御方だが、宝石やドレスなどに対する興味は、高貴なご婦人としては多くないように思える。無論、王家の至宝として、素晴らしいものの数々をお持ちであるが、臣下の持ち物にまで手を伸ばすような、強欲さは皆無だ。
 シアが訝しがるのも、もっともだと思ったのだろう。エミーリアは小さく肩をすくめ、苦笑めいたものを浮かべた。
「そうなの。お家の事情も絡んでいて、王家が余り表に出るのは、よろしくないのよ……面倒でしょうけど、私の代わりに足を運んでくれるかしら?勿論、資金はこちらで用意するわ」
 女王陛下の口ぶりから、複雑な事情を薄々感じとったシアは、「はい。承りました」と素直に依頼を受けた。
 敬愛してやまぬ、お優しく聡明な女王陛下のなさることだ。
 不思議な依頼であっても、そう悪いことは起きないだろう。
 エミーリアも、ホッと安堵したように頬を緩める。
「お願いね。その宝石、『女神の血』を所有しているのは、レイスティア侯爵家というのだけれど……」
 最初は、にこやかに愛娘と女王陛下の会話に耳を傾けていたクラフトだったが、レイスティア侯爵家の名を聞いた途端、顔色を変える。
 その手から、紅茶のカップが滑り落ちた。
 ガシャン。
 陶器が割れる、耳障りな音がした。
 シアとエミーリアは、何事かと目を剥く。
 高価な絨毯の上に、紅茶のしみが広がり、砕けた破片が散らばっている。給仕の女官が慌てて、女王陛下の傍に駆け寄り、お怪我はございませんかと確認した。
 カップを取り落した、クラフトの顔色は真っ青だった。普段の飄々した態度はどこへやら、世界の終りが来たような顔をしている。
「父さん……どうしたの!顔が真っ青よ」
 娘の呼びかけにも、クラフトは放心したように、無言だった。
「具合でも悪いの、クラフト?誰か、典医を呼んできて」
 エミーリアの気遣いに、額を抑えたクラフトは、「……いえ、不作法を致しまして、失礼しました。ご典医殿にご足労頂くには、及びません」と首を横に振った。
「少々、気分が悪くなっただけです。女王陛下の御前で、これ以上、非礼を働くわけには参りません。今日の所は、御前、辞させていただきます」
 ぽかんと口を開けたエミーリアに、クラフトは一部の隙もない微笑で、すらすらともっともらしい言い訳を並べ立てると、足早に扉の方へと向かった。
 その際、隣に座っていた娘の腕を引っ掴み、強引に引きずっていく。
 父の唐突な行動に、シアが嫌そうに顔を顰めても、腕の力を緩めようとしない。
 らしからぬ強引さと、理不尽なそれに扉の外側へと押し出されたシアは、訝しげに眉をひそめた。
「ちょっと、父さん……!いきなり、どうしたのよ」
 娘の身体を馬車に強引に押し込めたところで、クラフトはようやく、遅まきながら口を開く。
「シア。今回の女王陛下のご依頼は、受けては駄目だよ。例え、勅命に背こうとも、僕は絶対に許さない」
 行っては駄目だ。許さないと、少女の父は切羽詰まった横顔で、熱に浮かされたように、繰り返した。
 いつもと異なる様子のクラフトに、シアはびくっ!と身を強張らせる。
 娘の華奢な肩を掴んで、爪が食い込むほど力を入れ、クラフトは噛んで含むように、言い聞かせた。
「どうしてもというなら、宝石の件は僕が何とかする。今回だけは、父親の忠告を聞くんだ。シア」
「な、何でよ……?父さん。いつも、女王陛下のご依頼に、文句をつけたことなんて一度もなかったじゃない。なんで急に、そんなことを言い出すの?」
 混乱のあまり、シアは舌をもつれさせた。
 先ほどまで、和やかにしていたというのに、父の変貌ぶりが理解できない。
 いや、娘として育ってきてこの方、親として当然の叱りを受けることはあっても、理由もなく、頭ごなしに否定されたことは、一度もなかった。相手がどれほど未熟で、力がなかったとしても、クラフトはいい加減にあしらうというのをしない性分で、相手の言い分が確かなら、真摯に耳を貸していた。
 亡き母さまの分まで、あふれるほどの愛情を注いでくれた、クラフト。
 普段は、柄にもなく照れ臭くて言えないけれど、大好きな、大好きな父だ。だからこそ、こんな風に上から押さえつけるような物言いを、はいそうですか、などと受け入れることなど出来ない。
「いいから、僕の言うことを聞きなさい。僕が今まで、君の為にならないことをしたことは、なかったはずだよ」
 それは、クラフトにとっても、魂を振り絞るようなそれだった。
 全ては、リーブル商会と並んで、己の命よりも大事な愛娘を、守りたいが故だ。
 ――エステル、君が遺してくれた、僕たち夫婦の宝物を、誰よりも大切な我が子を、どんな危険な目にも合わせたくないんだよ。君との最期の約束を、守りたいんだ。
 しかし、言葉にせぬ想いが、全て伝わることはない。
 肩を震わせたシアは、目じりに涙をため、真っ赤な顔で怒鳴った。
「意味がわからないわよ!父さんのバカ!」
 その言葉こそ、人生で何度目かの親子喧嘩の始まりだった。
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