桜花あやかし語り

師走、その警官、奇異な店に迷い込むとのこと [4]

 挑むような、あるいは射抜くような眼差しを、突き付けられて、鷹二郎はふと目を細めた。
 すまない、と青年の唇から、謝りの言葉が紡がれる。
 例え、悪意や興味本位のものでなくとも、じろじろ見られれば、普通は気分を害すだろう。
「すまない。じろじろ見るつもりはなかったんだが……」
 彼が詫びの言葉を口にすると、少女はついとそっぽを向いて、「……別に、気にしていません」と答える。
 その言葉は、本当に気にしていない風だったが、ついとそっぽを向いた横顔に、鷹二郎は罪悪感を覚えた。
 どのような事情がわからぬが、灰の瞳は、この国の民には見られぬ色だ。
(混血かもしれんな……気にしているなら、悪いことをした)
 彼自身は、異国のものに対する偏見は薄い。
 しかし、近年、東宮の留学で解消されつつあるとはいえど、いまだ鎖国時代の名残りが残るこの国で、異国の血を感じさせる者が、ひどく生きにくいこともわかっていた。
 ――傷つけたか、と悔いる。
 そんなつもりではなかったのに、と。
 鷹二郎は制帽をぬぐと、身をかがめ、頭二つ分は低い少女に向かって、潔く「申し訳なかった」と頭を下げた。
 そうして、少女の灰の瞳を、今度は真正面から見つめると、わずかに口元をゆるめ、微笑いかけた。
「稀な色だな。――花曇りの日の、空の色だ」
 それは世辞ではなかった。
 彼なりの賛辞だ。
 そんな鷹二郎の言葉に、少女は大きな灰の瞳に、怪訝そうな色を宿す。
 いきなり何の世迷いごとを……と、言葉よりも雄弁に、その目が語っていた。
 怒っている風ではないが、少女はそれが地なのか、むすりとした無表情のまま、
「お世辞は、けっこう」
と、ピシャリ、強い声音ではねのける。
 とかく可愛げのない、意地っ張りとも言える、幼い少女のそれに、鷹二郎は腹を立てるよりも先、なぜか微笑ましさを感じて、つい唇をほころばせる。
 睨まれても、いとけない少女の貌では、恐ろしさよりも、愛らしさが上回る。
 妹のような歳であれば、尚更だ。
 きつい言葉を吐いても、鷹揚な態度を崩さない彼に、少女はムッと眦を寄せる。
 その花びらに似た唇が、舌鋒の鋭さを発揮しようとした時だった。
 ツネさんと呼ばれる優男が、何とものんきに「おーい」と気の抜けた声を上げる。
「おーい。取り込んでるとこ悪いけど、冷める前に、おでん、くれるかな?」
 時間にすれば、さほどではなかっただろう。
 けれども、食べ物を前にしたおあずけは、殊の外こたえるらしく、へにゃり、と腑抜けた笑みを見せるツネさんとやらの言葉には、本気の色があった。
 手にしたお猪口も、すでに空だ。
 にゃー、と、何時の間にやら机の上に陣取った猫も、呆れたように鳴く。
 そのすぐ隣で、タヌキ似の社長も苦笑していた。
「ごめんなさい。今すぐ」
 慌てた素振りは見せず、されど、少女はぺこんと頭を下げると、からりころり、とぽっくり下駄をならしながら、盆を片手に、そちらに歩み寄る。
 机の上にどん、とおでんの大皿がのると、わっ、と喝采にも似た声が上がり、右左から箸が出た。
 大根を箸で割り、じゅわり、と内から汁が染み出る。
 ふうふう、と息を吹きかけて、あつあつのそれを口に運ぶと、社長は「うまい!」と満足そうに笑い、空になった徳利を片付ける少女に、機嫌よく話しかけた。
「うまい!相変わらず、ここのおでんは絶品ですな……さすがは、先代仕込みの味だ」
 手放しの褒め言葉に、少女は表情を変えず、ただ、その灰の瞳の奥にかすかな喜色をにじませて、ゆるりと首を横に振る。
「いいえ。私じゃ、先代……小梅さんの味には、遠く及びませんよ」
 謙遜ではなく、本心からそう言っているらしい彼女に、社長は「いやいや」と笑みを深める。
「ご謙遜を。最近は、先代の味にもだいぶ近づいてきてますよ……そう思いませんかな、ツネさん?翁?」
 翁、と言いながら、タヌキ似の紳士はなぜか、あぐらの上で丸まった三毛猫を見やる。
 社長の言葉に、猫は面倒そうに薄目を開け、にゅあ、と適当な鳴き声を上げると、再び目を閉じる。
 なんとも不精な猫を、膝にのせた着流しの男は、まあねぇ、と相づちを打つと、箸でほろり、と卵の黄身を崩す。
 そうして、半分に割った卵をもぐもぐと咀嚼すると、ツネさんはやわらかく笑い、おいで、と手を動かした。
 糸のように、柔和に細められたその目には、鷹二郎の姿が映っている。
「君も、こっちに来たらどうだい?そこに立っていても、退屈だろう……この娘の料理は、美味いよ」
 それは好意から出た言葉だろうが、であっても、すぐに乗る気にはなれなかった。
 どうも、と応じつつも、鷹二郎は戸を押したり引いたりする。が、まったく、微動だにしないそれに、虚しさを覚えずにはいられない。引き戸とは、こういうものなかったはずだ。
 苦笑した着流しの男に、「もうちょっとで開くよ。いいから、こっちにおいで」と言われるにつれ、もうどうにでもなれ、と腹を括り、警官の青年はそちらに歩み寄る。
 まあま、座りなよ、と促され、鷹二郎が相席すると、その機を見計らったように、さっと箸が置かれた。
 顔を上げれば、愛想のない表情と、灰の瞳と目が合う。
 いっそ悲しいほどに、愛想というものが欠落しているが、おでんも箸も取り皿も用意するすべては、その白く小さな手だ。
 お猪口の酒をちびりちびりと舐めながら、ツネさんは目を細めると、「何か、食べたらどうだい?おでんもいいが……この店の、ふろふき大根は絶品だよ」と、相席した青年に話をふる。
「ツネさん……」
 何を勝手なことを、と言いたげな少女に、着流しの男は「いいじゃないか、せっかく作ったんだし」と片目をつぶる。
 そうして、諭すような、優しい声で続けた。
「ヒトの子が、ここに迷い込むのは、大変なことだよ。わかるなら、少しは優しくしておあげ」
 ツネさんの言葉に、少女はむぅ、と呻いて、押し黙る。
 けれども、不本意ながらも、その言の正しさを認めたのだろう。
 渋々といった態で「はい」とうなずくと、厨房の方に向かい、皿を手に戻ってくる。
「……どうぞ。ツネさんから、です」
 いささか、つっけんどんな物言いと共に、鷹二郎の前に置かれたのは、着流しの優男が言っていた、ふろふき大根だった。
 味噌の薫るそれを見て、鷹二郎はいいのか、と目線で問う。
 にこり笑う、ツネさんと社長。
 少女は相変わらずの愛想が欠落していたが、ポツリと「冷めないうちに、食べた方がいいですよ」と言ってくる辺り、彼女なりの譲歩なのだろう。
「では、お言葉に甘えて……いただきます」
 ツネさんとやらに礼を言うと、鷹二郎は箸で大根を割る。
 内側まで、よく煮えたそれは、さくっと綺麗に切れた。
 味噌の香りが、食欲をそそる。
 口元へ運ぶと、かすかな柚子の匂いが、鼻先をくすぐる。
 とろり、と舌の上でとろける大根と味噌は、どこか優しく、懐かしい味だ。
 (婆やの、タキの味と似てるな……)
 うまい、と口から出た言葉は、言葉しらずの童のようで、けれど、それ以外の言葉が出なかった。
 もう一口と、箸を動かした鷹二郎に、少女はほんの少しだけ、曇天にも似た瞳を和ませ、どこかホッとしたような、あわい笑みを浮かべる。
 器の中身を、綺麗さっぱり空にして、「これは、君が作ってくれたのか?」と、鷹二郎は少女に尋ねた。
 十を幾つか超えたばかりの見た目では、そうも問いたくなるものである。 
 問われた彼女は、「そうですよ」と誇るでもなく淡々と応えた。
「この店は、私が先代から受け継いでやってますから、私以外の誰が作るんです?」
 未だ、あどけなさを残した少女は、さも当たり前のように、己が店の主であると語った。
 それが何か、と問いを重ねた彼女に、鷹二郎はいや、と首を横に振り、
「ご馳走様でした」
と、丁寧な口調で言う。
 ついで「うまかった」と笑った顔は、実に屈託ない。
 急に入り込んで来た客の、意外な態度に、少女は不思議そうに小首をかしげ、「お礼なら、ツネさんに言ってください……」と素っ気なく言う。
「それより、戸があいたら、早く、外に帰った方がいいですよ。ここは本来、ヒトの来る場所じゃないんですから」
 ひどく素っ気ない口調、だが、その灰の瞳には意外にも、親身なものが感じられる。
 とはいえ、先程から延々と続く、意味深な言葉の数々に、さしもの鷹二郎も眉をひそめずにはいられない。
 ヒトの来る場所ではないとは、一体、どういう意味なのか。
「それは……」
 その意を、鷹二郎が尋ねようとした時だった。
 はふはふと巾着の餅を咀嚼していた社長が、「そろそろですなぁ……」と言ったのは。
「そろそろだねぇ」
 ツネさんはのんびりとした声音で相づちを打つと、お猪口の最後の一滴を喉に流し、鷹二郎の方へと向き直る。
「もう、そろそろ、戸は開くはずだよ……試してごらん」
 その言葉を、警官の青年は、素直に信じる気にはなれなかった。
 先ほどまで何度、どんなに力をこめても無駄だったのだ。
 しかし、柔和な笑みを浮かべた男が再度、「試してごらん」というものだから、試しに戸に手をかけると、あっさりと、先程のあれが嘘のように、戸はスッ、と横に滑る。
 まるで、キツネかタヌキに化かされような気分だった。
 呆気にとられた鷹二郎が、後ろを振り返ると、「だから、言ったでしょ」と着流しの男が、愉快そうに笑う。
 その頭には、ピンと立った黄金色の耳があった。
 ……耳?
 まるで、キツネのようなそれに錯覚かと、鷹二郎はまぶたをこする。だが、それは消えない。腰には、黄金色の尻尾がゆらゆらと動いている。
 驚きのあまり、立ち尽くした彼の背を、大きな手が押した。
「気を付けて、お帰り下さい。お巡りさん……ここで会ったのも、何かの縁でしょうからな」
 そう、あたたかな声で言ったのは、社長と呼ばれる、タヌキ似の紳士だった。
 ああそうそう、と茶目っ気たっぷりに、社長は付け加えた。
「帝都劇場の先の、ミルクホールの辺りを探すと、あなたの探しているスリが見つかりますよ。お巡りさん」
 流行りの洋装、枯れ葉色のズボンの脇で、タヌキの尻尾が動いている。
 その声と、背中を押す手は、どこまでもあたたかい。
「もう、来ないでくださいね。ここはヒトの為の場所じゃないんですから」
 素っ気ない態度をつらぬいた少女は、「気をつけて」とささやくような声で言うと、ぎゅっと唇を閉ざした。
 その灰の目が、いつか見た空に似ているようで、鷹二郎は目を細める。
「ほら、ぼけっとしてると、戸が閉まるぞい」
 しわがれた声で喋ったのは、少女の腕に抱かれた、三毛の猫だった。
 ――猫?
 ウシシ、と嫌らしく笑って、猫は尾っぽの先をくねらせる。
 その尾は、二つに裂けていた。
 猫又だ。
「――ここは妖怪の為の、小料理屋だ。もう迷い込むんじゃないぞ、人間の小童よ」
 そう猫又の笑い声が響いたのを最後に、鷹二郎は背中を押され、ふと気が付いた時にはなぜか……帝都劇場の裏に、ひとり、佇んでいた。

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